戦 捷 記 章 図 鑑   Victory Medal
はじめに英国・南アフリカ連邦/ ポルトガル共和国 / フランス共和国 / ギリシャ王国 / ブラジル共和国 / チェコスロバキア共和国 / キューバ共和国 / フランス共和国 非公式版1 / ルーマニア王国 / ポーランド共和国 非公式版 / フランス共和国 非公式版2 / アメリカ合衆国 / 大日本帝国(戦捷記章・大正三年乃至九年戦役従軍記章) /
は じ め に
「Victory Medal」。我が国では「戦捷記章(せんしょうきしょう)」という。
軍人および軍属の事変、戦役等への参加を示す従軍記章と混同されがちだが、基本的にはこれは従軍記章とは別個に、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)従軍者のうち特に戦闘員に対して勝利の記念として発行された記章である。
また、戦勝国各国が国を超えてデザインを統一したという点でも極めて稀な例となった。
5年にわたり戦死者900万人以上を出した欧州大戦がドイツの敗戦によって終結、1919年1月よりパリ講和会議が始まったが、その最中の3月、会議の主要国である英国、フランス 、イタリア、日本そしてアメリカの間でVictory Medalについての決議が行われた。
1918年3月に連合国軍総司令官に就任し、連合国を勝利に導いたフランス軍人であるフェルディナン・フォッシュ元帥の提言によるものであった。


1)Victory Medalとして大戦の勝利を記念するメダルを制定すること。
2)動員全体に与える一般的な記念章と混同されない方法で配布すること。
3)記念章の綬(リボン)は各国同じものとして、赤を中心にして左右対称に虹色とし、さらに両端は白とする。
4)メダルは円形、直径36ミリ、錆色を付けた青銅製。その他はフランスの普仏戦争(1870年-1871年)従軍記章【JUMP】に準拠する。
5)可及的速やかにデザイナーを指定し、同盟国および連合国で同じ記念章を作り、大戦に参加した戦闘員に交付する。
 【デザインの要件】
 ・メダルの表面中央に、有翼の勝利の女神の正面立像を描き、メダルの地は無地として、文字日付などを入れない。
 ・裏面に「 La grande guerre pour la civilisation(文明のための大戦)」の翻訳文字と、同盟国および連合国諸国名または国の徽章を刻印する。
 ・メダルの周囲は無地とする。
6)戦闘員が故国に帰還した後、この大戦に参加したことを記念する徽章を速やかに受領出来るよう取りはからうよう関係部局宛伝えること。


「連合国側」と通称されるが「同盟及び連合国」という表現が正確で、本来協商関係にあった4カ国すなわち英国、フランス、ロシア、日本およびその同盟国を「同盟」、戦争終盤に参戦したアメリカを「連合」と呼んだ。これら世界大戦を戦勝国側で戦った者全てが同一にして同文の刻まれた記念メダルを佩用することで共通の記憶を共有し、同志として強い連帯感で結ばれることを目的とし、決議は採択された。こうしてVictory Medalが発行されることになったのである。

「連合国側」と通称されるが「同盟及び連合国」という表現が正確で、本来協商関係にあった4カ国すなわち英国、フランス、ロシア、日本およびその同盟国を「同盟」、戦争終盤に参戦したアメリカを「連合」と呼んだ。
これら世界大戦を戦勝国側で戦った者全てが同一にして同文の刻まれた記念メダルを佩用することで共通の記憶を共有し、同志として強い連帯感で結ばれることを目的とし、決議は採択された。
こうしてVictory Medalが発行されることになったのである。
普仏戦争従軍記章 Médaille commémorative de la guerre 1870-1871
◎発行国   | フランス共和国 French Republic
◎発行年月日 | 1911年 11月9日
◎発行枚数  | 約15万枚
フランスで発行された普仏戦争従軍記章。Victory Medalの細部は、このメダルに準ずるとされた。
普墺戦争(1866年)から4年後、ドイツ諸国の統一に邁進するプロイセン王国とフランスとの間で行われた戦争。旧弊な皇帝親征のフランス軍に対してドイツ軍は参謀本部体制を確立し人材を活用し、さらに徴兵制を背景とした兵士の招集力、鉄道網による大動員、火砲の優勢によってフランス軍を圧倒した。ナポレオン3世は捕虜となり、ヴィルヘルム1世はプロイセン軍のパリ占領中、ベルサイユでドイツ皇帝としての即位式を行った。フランスは敗戦、多くの領土を失う。これを見た我が陸軍はそれまでのフランス式からドイツ式への兵制転換を図ったとされる。
敗戦のショックと混乱は大きく、この従軍記章が制定されたのは、戦争終結から40年が過ぎた1911年のことだった。フランスにとってはVictory Medalのもっとも直近に制定された従軍記章であったためVictory Medalの参考とされたと考えられる。
リボンは光沢のある絹製で幅36ミリ。リボンには棒で叩くことによって意図的に表出させるモワレ(moiré)と呼ばれる波模様があり高級感がある。このリボンの規格はVictory Medalに踏襲された。いくつかの国はメダルとリボンの接続部分の算盤の玉状のデザインも踏襲している。
棗椰子(なつめやし)または月桂樹、月桂冠、オークを持つ女神
Victoria(ウィクトリアまたはヴィクトリア)は古代ローマ神話の「勝利」を擬人化した女神。古代ギリシャ神話でいうところのNike(ニケ)のこと。古代の薄衣「キトン」を纏った有翼の女神で表現される。
ルーブル美術館に展示されている「サモトラケのニケ」が圧倒的に有名である。このギリシャの島から出土した彫像は力強くも精緻で、今にも風を起こしそうな翼と、ドレープが躍る衣を見ることが出来るが、残念なことに腕と頭部が失われている。それが故に我々は、女神はどのようなポーズで、何を手にし、どのような表情を……と、想像力を羽ばたかせるわけだが、メダルに描かれた各国のヴィクトリアの姿は、実に様々である。
棗椰子は勝利と歓びのシンボルであり、古代には勝者にこの枝を授ける慣習があった。月桂樹もまた栄光と勝利のシンボルであり、月桂冠は古来、優れた勝者の頭に載せられた。
オーク(ヨーロッパナラ)の小枝は、古来より聖なるものを示し、復興への希望でもある。多くの国で国樹としても採用されており、米国、ドイツ、オーストリアなど各国軍隊の徽章にも使われている。