甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第5号
2014年11月28日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。
 いよいよ冬の到来を待ち受ける季節になりました。一年を二十四の季節の移ろいに分けた二十四節気では、今は丁度「小雪」と「大雪」の間にあたります。さらに細かく分類した七十二候にあてはめるならば、「朔風払葉(北風が木の葉を払い除ける)」。まざまざと寒い季節に向かう情景が浮かびますね。

 お隣の国台湾は、北部が亜熱帯、南部が熱帯気候に属しています。
日本と比べると冬でも陽気が先立つ季候ですが、現地の方の大らかさもまた、台湾の気候が育んだものなのかも知れません。
 今回は、先日台湾の台中寳覚寺にて行われた旧台湾出身日本陸海軍戦没者慰霊祭のレポートをお送りいたします。

一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。


この記録を『活動詳報』に掲載しています。併せてご覧下さい
<台湾の地で祀られる日本軍人>
—大東亜戦争旧日本軍台湾軍人・軍属慰霊祭に参加して—


台湾では日本統治下の1941年から志願兵制度が、1944年に徴兵制度が実施されました。空挺特攻である薫空挺隊、軍属で構成された高砂義勇隊などが知られますが、大東亜戦争に従軍した台湾出身の軍人軍属は207,183名、うち戦死又は戦病死者は30,306名を数えました。
甲飛喇叭隊第十一分隊では2011年11月25日、予科練出身者の慰霊顕彰を目的として活動されている公益財団法人海原会からの打診に応え、台湾出身日本陸海軍人および軍属の慰霊祭に海を越えて海軍衛兵隊を差遣しました。それを初回として以後毎年渡台しております。
慰霊祭は高さ30メートルの金色の布袋様があることで知られる台中の寶覺禅寺(宝覚寺)で行われています。ここには李登輝元総統によって「霊安故郷」と記された台湾出身日本軍人軍属の霊を慰める慰霊碑があり、慰霊祭は現在、台湾台日海交会が主宰しています。小菅亥三郎団長率いる日華(台)親善友好慰霊訪問団の皆さんも毎年、この慰霊祭に御参列され、盛大な式典となっています。

11月23日の夜に例年よりずっと暑い台南に入り、あけて24日、恒例となっている鎮安堂飛虎将軍廟に参拝しました。
祀られているのは、1944年10月12日の台南空襲において敵機と交戦し戦死された予科練出身の杉浦茂峰飛行兵曹長で、厳めしい軍服姿に軍刀を手にしたお姿の像が鎮座しています。今回は50名ほどの慰霊訪問団の皆さんや近傍の方々と共に参拝し、杉浦兵曹長の霊をお慰めしました。儀仗隊として捧銃の敬礼と、ラッパ譜「水漬ク屍」を献奏しました。

その後台中に移動、「大東亜戦争旧日本軍台湾軍人・軍属慰霊祭」当日の25日は早朝から宝覚寺に入り、儀仗隊員の教練と台湾台日海交会との打ち合わせを行いました。
今回は日本からの分隊員が参加出来ず、4名の儀仗隊員のうち3名は台湾からご支援頂きました。皆さん各方面で大いにご活躍されている方々ですが、日本から持参出来ない装備等についても準備段階から奔走して頂きました。
宝覚寺は日本からの観光客が多く、朝早くから何台も観光バスが入ってきます。ここには先の戦争中に台中付近で亡くなられた日本人1万4千柱の遺骨を納めた日本人墓地もあります。日本人墓地にお参りされた皆さんの中には当日の慰霊祭にも興味を持たれる方もあり、手短にですが大東亜戦争中、台湾からも沢山の若者が日本軍に参加し、日本人とともに戦い、多くの方が戦場に斃れたこと、毎年ここで慰霊祭が行われている事などをお話しました。

9時半になり、日本からの慰霊団を含めて70名ほどが参列する中、慰霊祭が始まりました。以前は日本からも予科練出身者を中心とした旧軍人が多く参列されていましたが、今回はごく少数、海軍出身の方が列席されるのみでした。
日本国歌とともに日本国旗が掲揚され、続いて中華民国(台湾)国歌とともに中華民国国旗が掲揚されました。さらに続いて儀仗隊の捧銃とラッパ譜「君カ代」吹奏の中、かつての軍艦旗が掲揚されていきました。台湾の濃い青空の中に、三旒翩翻と翻る様は大変美しいものでした。
次に、儀仗隊の着剣捧銃とラッパ譜「國ノ鎮メ」による黙祷。かつての台湾同胞の御霊安かれの想いで会場がひとつとなりました。

台湾台日海交会長と、日本側の代表として慰霊団長のご挨拶と祭文奏上があり、一同「海行かば」を斉唱して慰霊祭は終了となりましたが、終了後も参列者はその場を立ち去り難い思いが強く、時間の許す限り名残を惜しみお互いに感謝の言葉を交わしておられる姿が印象的でした。このような両国民の姿こそが、戦陣に散った若者達を偲ぶこの慰霊祭に一番相応しいのではないか、また今回は儀仗隊も台湾人が主体となりましたが、慰霊祭の今後のためにも、また台湾出身の御英霊のためにも、それはとても意義のある事だったのではないかと思いました。

海外での慰霊祭参加は困難も多く、容易な事ではありませんが、今後も日台手を携えて儀仗を奉納していきたいと願います。