甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第7号
2015年1月2日 発行
2015年1月2日 発行
明けましておめでとうございます。甲飛喇叭隊 第十一分隊です。
昨年は心機一転の年となり、ホームページも改装されました。今年は躍進の年となるよう、更に精進してまいります。
◎長らく準備中のままだったホームページ内コンテンツがいよいよ公開されます!
第一次世界大戦を記念した『戦捷記章』に焦点を当てた第一弾。「戦捷記章」って?というところから始まる、本格的な資料性を持った内容になっております。是非ホームページ内「第十一分隊資料館」をご覧下さい。 更新を楽しみにして頂けるように頑張って参ります。
◎2月8日(日)、幕張メッセで開催される「ワンダーフェスティバル[冬]」に於いて、イベント弁当に定評のある株式会社 江戸まとい様が、当時の瑞鶴掌衣糧長が残した貴重な記録から再現を試みた『空母瑞鶴戦闘配食 五航戦にぎり』を携え出展されます。
我々甲飛喇叭隊 第十一分隊は当日、微力ながら販売協力員として参加いたします。
☆★現在予約受付中です!★☆
数に限りがありますので、詳細が気になる方は是非十一分隊ホームページにあるバナーよりご覧下さい。
(※予約受付は終了いたしました)
◎さて、お正月には飲んで味わい、酔って楽しむ “お酒” は欠かせませんね。 しかし「お酒が欠かせない」という表現は海軍にも当てはまるようです。今号は十一分隊の酒保掛が、その辺の事情をエピソードを交えてお送りいたします。
一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
昨年は心機一転の年となり、ホームページも改装されました。今年は躍進の年となるよう、更に精進してまいります。
◎長らく準備中のままだったホームページ内コンテンツがいよいよ公開されます!
第一次世界大戦を記念した『戦捷記章』に焦点を当てた第一弾。「戦捷記章」って?というところから始まる、本格的な資料性を持った内容になっております。是非ホームページ内「第十一分隊資料館」をご覧下さい。 更新を楽しみにして頂けるように頑張って参ります。
◎2月8日(日)、幕張メッセで開催される「ワンダーフェスティバル[冬]」に於いて、イベント弁当に定評のある株式会社 江戸まとい様が、当時の瑞鶴掌衣糧長が残した貴重な記録から再現を試みた『空母瑞鶴戦闘配食 五航戦にぎり』を携え出展されます。
我々甲飛喇叭隊 第十一分隊は当日、微力ながら販売協力員として参加いたします。
☆★現在予約受付中です!★☆
数に限りがありますので、詳細が気になる方は是非十一分隊ホームページにあるバナーよりご覧下さい。
(※予約受付は終了いたしました)
◎さて、お正月には飲んで味わい、酔って楽しむ “お酒” は欠かせませんね。 しかし「お酒が欠かせない」という表現は海軍にも当てはまるようです。今号は十一分隊の酒保掛が、その辺の事情をエピソードを交えてお送りいたします。
一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<酒と海軍>
皆様、新年明けましておめでとうございます。
お正月とは切っても切れぬものといえば…まぁ「おせち」であったり「お年玉」であったりいろいろあるわけですが、そこは今回の筆者のこと、もちろん「お酒」が筆頭に上がってまいります。というわけで、年始の今回は「酒と海軍」といったテーマでお送りいたします。
〇帆船時代はたいへんでした … イギリス海軍
「海の男」というと、「酒飲みで豪快で細かいことを気にしない」といった、いわゆる「カリブの海賊」的なイメージをもたれる方もいらっしゃると思います。この「カリブの海賊」的イメージについて回る酒が「ラム酒」なわけですが、このラム酒を1740年に兵士に支給し始めたのがイギリス海軍でした。
もともとイギリス海軍は大航海時代より水兵に酒の支給は行っており、その量は一日ビール1ガロン(4.54L)、早朝、昼食、午後、夕食時に17クォート(1.136L)づづの配給であったようです。 これには、士気の鼓舞はもちろんですが酒で憂さ晴らしをさせる意味もありました。というのは、当時の水兵が強制徴募によるものだったため、逃亡の危険性から水兵の上陸の機会を極端に少なくしていたからです。酒でも飲ませなければ、鬱憤溜まりまくりですね(笑)
その後、暑さに強くてビールよりも安価なラム酒が支給されるようになりますが、ラム酒はご存知のように強いスピリッツですから泥酔者が続出してしまいます。当時のエドワード・バーノン提督は泥酔撲滅のためラム酒を水で薄めたものを午前、午後の2回に分けて支給するようにしますが、それでも泥酔者はなくならなかったようです。(まぁ割ったラム酒も美味しいですからねぇ…)
余談ですが、この水割りラム酒は、バーノン提督のコートの生地(グログラム)にちなみ、グロッグと呼ばれました。それから転じて泥酔した人をさしてグロッギー(groggy)という言葉も生まれ、現在でも「あいつもうグロッギーだな」などと使用されてますね。
〇戦(いくさ)と酒は共にあり! … 日本海軍
とまぁそんなイギリス海軍を父として作り上げられてきた日本海軍はどうなのかと申しますと、やはり師匠筋を真似るというのか条件付で艦内飲酒を可としております。もともと日本は海に囲まれた島国ですから戦国以前から精強な水軍が各地に存在していました。有名なところでは村上水軍や九鬼水軍がありますが、彼らもその大きな船には酒樽を積み込んでいたといいます。そんな歴史的地盤もあるせいか、海軍創成期の方々も海軍籍の船に酒を積み込むことに関しては全く抵抗は無かったと思われます(まぁそれ以前に日本人のメンタリティーとして、戦場に酒はつき物ですからねー)。
日本海軍の酒に関するエピソードといえば、即座に皆様ご存知の板倉光馬艦長が思い出されることでしょう(板倉艦長お一人で酒に関する逸話全部持って行きそうな勢いではありますが)。他にも加藤友三郎大将と島村速雄大将は「無類の酒好きにして海軍の双璧」とその酒の強いことを称えられてます。ちょっとした戦記にも、泥酔しながらも飲み屋の自転車で艦に乗りつけ出航時刻に間に合った艦長の逸話や、毎晩3人で飲んでて昼にならないと起きてこない駆逐艦艦長、機関長、水雷長のエピソードなどが載っていたことが思い出されます。(もちろん外地で、敵前で無い状況で、ですが…)それだけ酒が海軍軍人とって身近なものだった証拠みたいなものですね。
そしてそんな日本海軍で飲まれていたのは…圧倒的に日本酒でした。ビールも相当量艦に積み込まれたようですが、消費量は日本酒の方が多かったようです。…南方に関してはその限りでは無い気も大いにしますが(笑)基本的に海軍に納入される酒は、横須賀・呉・佐世保・舞鶴、 要港部の大湊・鎮海・馬公・旅順など、それぞれの地元や近い土地の酒蔵のものであったようですが、(馬公・旅順に関しては内地よりの直送だったようです)大正8年(1919年)に艦船部隊購売部が新設されたのを機に広島の醸造所「三宅・本店」の酒が多く納入され始め、また品質がよく、味も良いとのこともあって全海軍区に供給が広まっていくこととなり、「どの軍港で補給を行っても入ってくる美味い酒」として三宅の酒「千福」が広く有名になっていきます。(もともと艦船部隊購買部初代主任・今井文四郎特務大尉は広島・呉にはなじみの古参士官で、「三宅・本店」の店員・木村俊夫氏が購買部に赴くと「呉」と言うことですぐに納入の話がまとまったらしいですが…)
同様に、戦前にはハワイ、台湾、アメリカ本土にも出荷を行い、満州事変以降は軍用酒の生産の命令を受けていた広島の大手醸造元、加茂鶴酒造の酒「加茂鶴」も、海軍に広く納入され親しまれたようです。ちなみに当時の加茂鶴酒造社長の佐々木英夫氏は海軍大学教授、海軍省参事官などを歴任した海軍関係のエリートでありました…う~んここにもなんとなくコネのかほりが(笑)
当時でも呉の2大銘酒といえば「千福」「加茂鶴」でした(その頃の一般的な認識では「千福」は兵・下士官向け、「加茂鶴」は士官向けだったようです)。それはそれとして、「大和」には兵員用の酒として「加茂鶴純米吟醸」が積み込まれていたといいます。当時の米の配給状況のなか、「純米吟醸」を作るのは相当難儀なことと思われますが、「戦艦大和に積み込む酒」ということで相当な配慮をしたものと思われます。やはりそれだけ「大和」は特別な艦だったんですねぇ…
江田島への兵学校移設直後に「海軍御用酒」として生産を始めた江田島銘醸の「同期の桜」も愛飲されたことでしょうし、それこそ歴史のある酒蔵、軍港の近くの醸造元などはみな海軍に限らず軍とのエピソードをいくつか持っているものと思います。
正に「酒に軍歴あり」ってトコロでしょうか(笑)
〇合理的なのはお国柄でしょうか … アメリカ海軍
さて、イギリス海軍、日本海軍、と綴ってきましたが、先にあげた二つの海軍とは全く様子の違うのがアメリカ海軍です。さすがに合理的というか禁酒法の国というか、艦内での酒の消費量を厳密に決めた法律が行くところまで行ってしまい…
・1794年3月27日決定 1日の酒類配給・消費量「蒸留酒半パイント(236.5mL)」、「もしくはビール1クォート(946mL)」
・1797年7月1日決定 1日の酒類配給・消費量「蒸留酒半パイント」
そして
・1893年の海軍令則第1080条 「士官室士官と艦船長、士官次室士官に、ワインを含む会食をもつことを許可する。ただし、ワインを含む会食への参加は命令されない」
さらに紆余曲折ありまして
・1914年6月1日 一般命令第99号 「海軍の全ての艦船上、あるいは全ての海軍工廠・基地内においてアルコール性飲料を飲用し、あるいは飲用の目的で持ち込むことを禁ずる」
この命令により、米海軍では一切の飲酒が禁止されてしまいました。
この命令が発令された理由には諸説ありますが、そのひとつに「兵士間の酔っ払っての喧嘩が絶えない為」があります。罰則を強化するとかではなく(したとは思いますが)、思い切って「全面禁酒」としてしまうあたりが合理的なアメリカ軍っぽいですね。
また、海軍ではないですがアメリカ軍のアルコールに対する規律のエピソードとして沖縄戦で捕虜となった八原博通大佐が語ったものがあります。八原大佐は「完本・太平洋戦争」の中で、米軍は最高指揮官バックナー中将の強い指示により、沖縄本島に4月1日に上陸し日本軍の組織戦闘が終わる6月23日までの83日間は戦闘時以外でも一切禁酒にしていた事を知り、その厳正な規律に正直驚いたと書いています。
自由奔放なイメージのあるアメリカ軍ですが、ことアルコールに関しては〆るところできっちり〆る、といった感じですね。
…アメリカの艦は酒が飲めないってゆーけど代わりにアイスクリーム食べ放題じゃんよ…なんて声が聞こえてきそうですが、まぁ置いといて。
この艦内飲酒禁止、現在でも続けられているそうで、こんなエピソードを聞いたことがあります。
日米合同演習時、米海軍の士官が海上自衛隊員に「お前たちのトコロではアレ(酒)はどうなっているんだ?」と聞いてきたそうです。自衛隊員は胸を張る勢いで「あなたがたアメリカ海軍に習って酒は禁止です!」と答えました。すると米軍士官は憮然となって一言「つまらん事をマネしたもんだ…」
…やはり禁酒の米海軍でも飲みたい気持ちが抑えられない人はいるようで、この士官は海上自衛隊の艦に酒があったらこっそり貰おうと思ってたのかもしれませんね(笑)
やはり軍人と酒は切っても切れない関係なのかもしれません。
さて、とりとめなく駆け足でお送りしてしまいましたが「海軍と酒」、いかがでしたでしょうか。戦士にとって付き物の「酒」、その酒と各海軍とのかかわりについて少しでも興味を持っていただけましたら幸いです。
ふとしたときにラム酒や日本酒の杯を傾けながら、当時の「海の男」や「海軍将兵」に思いを馳せてみるのもいいものかもしれませんよ?
駄文乱文失礼いたしました 〜では今宵、どこかの酒保で〜
皆様、新年明けましておめでとうございます。
お正月とは切っても切れぬものといえば…まぁ「おせち」であったり「お年玉」であったりいろいろあるわけですが、そこは今回の筆者のこと、もちろん「お酒」が筆頭に上がってまいります。というわけで、年始の今回は「酒と海軍」といったテーマでお送りいたします。
〇帆船時代はたいへんでした … イギリス海軍
「海の男」というと、「酒飲みで豪快で細かいことを気にしない」といった、いわゆる「カリブの海賊」的なイメージをもたれる方もいらっしゃると思います。この「カリブの海賊」的イメージについて回る酒が「ラム酒」なわけですが、このラム酒を1740年に兵士に支給し始めたのがイギリス海軍でした。
もともとイギリス海軍は大航海時代より水兵に酒の支給は行っており、その量は一日ビール1ガロン(4.54L)、早朝、昼食、午後、夕食時に17クォート(1.136L)づづの配給であったようです。 これには、士気の鼓舞はもちろんですが酒で憂さ晴らしをさせる意味もありました。というのは、当時の水兵が強制徴募によるものだったため、逃亡の危険性から水兵の上陸の機会を極端に少なくしていたからです。酒でも飲ませなければ、鬱憤溜まりまくりですね(笑)
その後、暑さに強くてビールよりも安価なラム酒が支給されるようになりますが、ラム酒はご存知のように強いスピリッツですから泥酔者が続出してしまいます。当時のエドワード・バーノン提督は泥酔撲滅のためラム酒を水で薄めたものを午前、午後の2回に分けて支給するようにしますが、それでも泥酔者はなくならなかったようです。(まぁ割ったラム酒も美味しいですからねぇ…)
余談ですが、この水割りラム酒は、バーノン提督のコートの生地(グログラム)にちなみ、グロッグと呼ばれました。それから転じて泥酔した人をさしてグロッギー(groggy)という言葉も生まれ、現在でも「あいつもうグロッギーだな」などと使用されてますね。
〇戦(いくさ)と酒は共にあり! … 日本海軍
とまぁそんなイギリス海軍を父として作り上げられてきた日本海軍はどうなのかと申しますと、やはり師匠筋を真似るというのか条件付で艦内飲酒を可としております。もともと日本は海に囲まれた島国ですから戦国以前から精強な水軍が各地に存在していました。有名なところでは村上水軍や九鬼水軍がありますが、彼らもその大きな船には酒樽を積み込んでいたといいます。そんな歴史的地盤もあるせいか、海軍創成期の方々も海軍籍の船に酒を積み込むことに関しては全く抵抗は無かったと思われます(まぁそれ以前に日本人のメンタリティーとして、戦場に酒はつき物ですからねー)。
日本海軍の酒に関するエピソードといえば、即座に皆様ご存知の板倉光馬艦長が思い出されることでしょう(板倉艦長お一人で酒に関する逸話全部持って行きそうな勢いではありますが)。他にも加藤友三郎大将と島村速雄大将は「無類の酒好きにして海軍の双璧」とその酒の強いことを称えられてます。ちょっとした戦記にも、泥酔しながらも飲み屋の自転車で艦に乗りつけ出航時刻に間に合った艦長の逸話や、毎晩3人で飲んでて昼にならないと起きてこない駆逐艦艦長、機関長、水雷長のエピソードなどが載っていたことが思い出されます。(もちろん外地で、敵前で無い状況で、ですが…)それだけ酒が海軍軍人とって身近なものだった証拠みたいなものですね。
そしてそんな日本海軍で飲まれていたのは…圧倒的に日本酒でした。ビールも相当量艦に積み込まれたようですが、消費量は日本酒の方が多かったようです。…南方に関してはその限りでは無い気も大いにしますが(笑)基本的に海軍に納入される酒は、横須賀・呉・佐世保・舞鶴、 要港部の大湊・鎮海・馬公・旅順など、それぞれの地元や近い土地の酒蔵のものであったようですが、(馬公・旅順に関しては内地よりの直送だったようです)大正8年(1919年)に艦船部隊購売部が新設されたのを機に広島の醸造所「三宅・本店」の酒が多く納入され始め、また品質がよく、味も良いとのこともあって全海軍区に供給が広まっていくこととなり、「どの軍港で補給を行っても入ってくる美味い酒」として三宅の酒「千福」が広く有名になっていきます。(もともと艦船部隊購買部初代主任・今井文四郎特務大尉は広島・呉にはなじみの古参士官で、「三宅・本店」の店員・木村俊夫氏が購買部に赴くと「呉」と言うことですぐに納入の話がまとまったらしいですが…)
同様に、戦前にはハワイ、台湾、アメリカ本土にも出荷を行い、満州事変以降は軍用酒の生産の命令を受けていた広島の大手醸造元、加茂鶴酒造の酒「加茂鶴」も、海軍に広く納入され親しまれたようです。ちなみに当時の加茂鶴酒造社長の佐々木英夫氏は海軍大学教授、海軍省参事官などを歴任した海軍関係のエリートでありました…う~んここにもなんとなくコネのかほりが(笑)
当時でも呉の2大銘酒といえば「千福」「加茂鶴」でした(その頃の一般的な認識では「千福」は兵・下士官向け、「加茂鶴」は士官向けだったようです)。それはそれとして、「大和」には兵員用の酒として「加茂鶴純米吟醸」が積み込まれていたといいます。当時の米の配給状況のなか、「純米吟醸」を作るのは相当難儀なことと思われますが、「戦艦大和に積み込む酒」ということで相当な配慮をしたものと思われます。やはりそれだけ「大和」は特別な艦だったんですねぇ…
江田島への兵学校移設直後に「海軍御用酒」として生産を始めた江田島銘醸の「同期の桜」も愛飲されたことでしょうし、それこそ歴史のある酒蔵、軍港の近くの醸造元などはみな海軍に限らず軍とのエピソードをいくつか持っているものと思います。
正に「酒に軍歴あり」ってトコロでしょうか(笑)
〇合理的なのはお国柄でしょうか … アメリカ海軍
さて、イギリス海軍、日本海軍、と綴ってきましたが、先にあげた二つの海軍とは全く様子の違うのがアメリカ海軍です。さすがに合理的というか禁酒法の国というか、艦内での酒の消費量を厳密に決めた法律が行くところまで行ってしまい…
・1794年3月27日決定 1日の酒類配給・消費量「蒸留酒半パイント(236.5mL)」、「もしくはビール1クォート(946mL)」
・1797年7月1日決定 1日の酒類配給・消費量「蒸留酒半パイント」
そして
・1893年の海軍令則第1080条 「士官室士官と艦船長、士官次室士官に、ワインを含む会食をもつことを許可する。ただし、ワインを含む会食への参加は命令されない」
さらに紆余曲折ありまして
・1914年6月1日 一般命令第99号 「海軍の全ての艦船上、あるいは全ての海軍工廠・基地内においてアルコール性飲料を飲用し、あるいは飲用の目的で持ち込むことを禁ずる」
この命令により、米海軍では一切の飲酒が禁止されてしまいました。
この命令が発令された理由には諸説ありますが、そのひとつに「兵士間の酔っ払っての喧嘩が絶えない為」があります。罰則を強化するとかではなく(したとは思いますが)、思い切って「全面禁酒」としてしまうあたりが合理的なアメリカ軍っぽいですね。
また、海軍ではないですがアメリカ軍のアルコールに対する規律のエピソードとして沖縄戦で捕虜となった八原博通大佐が語ったものがあります。八原大佐は「完本・太平洋戦争」の中で、米軍は最高指揮官バックナー中将の強い指示により、沖縄本島に4月1日に上陸し日本軍の組織戦闘が終わる6月23日までの83日間は戦闘時以外でも一切禁酒にしていた事を知り、その厳正な規律に正直驚いたと書いています。
自由奔放なイメージのあるアメリカ軍ですが、ことアルコールに関しては〆るところできっちり〆る、といった感じですね。
…アメリカの艦は酒が飲めないってゆーけど代わりにアイスクリーム食べ放題じゃんよ…なんて声が聞こえてきそうですが、まぁ置いといて。
この艦内飲酒禁止、現在でも続けられているそうで、こんなエピソードを聞いたことがあります。
日米合同演習時、米海軍の士官が海上自衛隊員に「お前たちのトコロではアレ(酒)はどうなっているんだ?」と聞いてきたそうです。自衛隊員は胸を張る勢いで「あなたがたアメリカ海軍に習って酒は禁止です!」と答えました。すると米軍士官は憮然となって一言「つまらん事をマネしたもんだ…」
…やはり禁酒の米海軍でも飲みたい気持ちが抑えられない人はいるようで、この士官は海上自衛隊の艦に酒があったらこっそり貰おうと思ってたのかもしれませんね(笑)
やはり軍人と酒は切っても切れない関係なのかもしれません。
さて、とりとめなく駆け足でお送りしてしまいましたが「海軍と酒」、いかがでしたでしょうか。戦士にとって付き物の「酒」、その酒と各海軍とのかかわりについて少しでも興味を持っていただけましたら幸いです。
ふとしたときにラム酒や日本酒の杯を傾けながら、当時の「海の男」や「海軍将兵」に思いを馳せてみるのもいいものかもしれませんよ?
駄文乱文失礼いたしました 〜では今宵、どこかの酒保で〜