甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第26号
2016年12月15日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。

 東京では落ち葉が地面を彩る12月中旬。
この頃になると、冬の寒さが身に沁みるようになりますね。暖かいところへ避寒に行きたいと、誰でも一度は思った事があるのではないでしょうか。 東京の12月1月の平均気温は約10〜11度。 お隣の国、台湾では約20〜22度! 最低気温も17度前後と、空っ風に首を竦める日本にはうっとりしてしまう環境ですね。

 今回は、11月に台湾は高雄保安堂、台南飛虎将軍廟、台中宝覚寺催行された、平成28年 儀仗隊台湾慰霊祭差遣に参加した隊員のエッセイをお送りします。この模様は、甲飛喇叭隊 第十一分隊HPでも写真にて公開しています。併せて是非ご覧ください。
 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<台湾における大東亜戦争戦没者慰霊に参加して>


甲飛喇叭隊第十一分隊は2011年より旧甲飛出身者から引き継いで台湾における戦没者慰霊に参加しており、今回で6度目の渡台となりました。
当初は日本からの隊員のみで実施しましたがすぐに台湾からの隊員も呼応して、徐々に装備や調整の面で支えてくださる方も増え、事実上の日台合同儀仗隊となっています。

11月24日、前日まで台湾全島を覆っていた雨雲も吹き飛び、紫外線が痛いくらいの晴天。前日の深夜に到着した隊員は早朝より、わが海軍の第38号哨戒艇が祀られている鳳山紅毛港保安堂へ伺いました。第38号哨戒艇は昭和19年11月25日にバシー海峡で米潜水艦の魚雷によって沈没し、哨戒艇長以下145名が戦死されました。
こちらの御堂を見上げると、軒に連なる燈明の上に一人づつ、白いセーラー服に身を包み小銃を携えた海軍の兵隊が立っています。当然これは私達甲飛喇叭隊のユニフォームと同じですが、私はこれを見るたびに「やっと来たのかお前たち」と言われているような気がして身ぶるいがいたします。
昨年に引き続きこちらでは小菅亥三郎団長率いる日華(台)親善友好慰霊訪問団の慰霊式に参加させていただいています。慰霊訪問団の皆様の黙祷にあわせ、かつて海軍が靖国神社を参拝する際に吹奏していた「水漬ク屍」を捧銃の礼とともに奉納し、最後に陸軍の消灯ラッパに相当する海軍のラッパ譜「巡検」を吹奏しました。
保安堂の神様は保安堂の皆様ととともに昨年来日されており、その折は私も東京でご一緒しました。保安堂の皆様とも日本からの慰霊団の皆様とも再会を祝すのも束の間、廟の洪總幹事様に駅まで送っていただき、次の目的地へ。

午後は、台南の飛虎将軍廟に参拝しました。こちらの廟のご祭神は杉浦少尉。少尉は昭和19年10月の米軍による台南空襲に際して零式戦を駆って迎撃するも、被弾し機体は火災が発生。部落への墜落を避けて乗機を誘導し戦死されました。
今年は例年参加させて頂いている慰霊式にスケジュールが合わず、私達のみで参拝をするつもりでおりましたが、思いもかけず台南方面に住まう日台の皆様がご一緒して下さいました。ここでも「水漬ク屍」と「巡検」を献奏し、捧銃の礼を捧げました。
「飛虎将軍」は今年、杉浦少尉の故郷である水戸へ凱旋されたことがニュースにもなりました。そのニュースで杉浦少尉の事をお知りになった方も多いのではないでしょうか。さきの第38号哨戒艇の乗員も杉浦少尉も、またその他の有名無名の日本人たちも、祖国を離れたこの地で戦後70年を経てなお祀られるとは思いもかけなかった事でしょう。日本の統治は終わり、大東亜戦争も終わりましたが、彼らは日台友好の礎という新しい使命を得て、この地に鎮まっています。彼らに対して私達に出来ることは、忘れないこと。語り継ぐこと。この2つであると思います。

25日は台湾台日海交会が主催する「大東亜戦争旧日本軍台湾軍人・軍属慰霊祭」に参加させて頂きました。これは日本軍人軍属として散華された台湾出身者の霊を慰めるための慰霊祭です。清々しい青空のもと、早朝より準備のために会場である台中の名刹、寶覺禅寺(宝覚寺)に入りました。ここは様々な国から多くの観光客が訪れる場所で、日本人もたくさんいらっしゃいます。昭和3年に建立された寺には、先の戦争中に台湾で落命された1万4千柱の遺骨を納めた日本人遺骨安置所がありますが、訪れる方の中にはこちらに手を合わせたり、慰霊祭の幕を見て、李登輝元総統によって「霊安故郷」と揮われた慰霊碑に向けて頭をお下げになる方もおられたのが印象的でした。
慰霊祭は「君が代」によってわが国国旗が、中華民国国歌によって中華民国国旗が、そして甲飛喇叭隊のラッパ「君カ代」によってかつての帝国軍艦旗が掲揚されて始まります。私達儀仗隊はちょうど会場を側面から見つめる位置にありましたが、日台の70名ほどの参列者の皆様は暑く長い慰霊祭の間じゅう、碑にまっすぐな眼差しを向けておいででした。英霊安かれのお気持ちは同じ、国境や国籍というようなものを感じさせない静謐な時間を感じました。

ここで台湾での私達の活動は終了、例年ですとその日のうちに飛行機に乗って東京へ戻っておりましたが、今年は飛行機の便の都合で幸いにも1日、台湾で過ごす時間が出来ました。せっかくですので制服を脱いで、八田與一勅任技師が精魂を傾注された烏山頭ダムや、台南市内に残る日本由来の建造物などを探訪し、研修としました。烏山頭ダムも台南の日本史跡も近年著しく整備され、見応えのあるよい観光ルートが出来ています。当日も雨天にも関わらず多くの見学者で賑わっていましたが、ふとした折に土地の方の暖かさに触れ、ダムを中心とした南部の美しい情景に情緒を感じ、短い時間ではありましたが有意義な研修となったようです。
戦没者慰霊はながく続け、次の世代に繋げていくことに意義があります。
そのためには、ぜひとも台湾の人に積極的に参加していただきたい。少しでも興味がある方があれば、ぜひ甲飛喇叭隊までご一報頂きたく思います。
今後も日台手を携えて困難を乗り越え、儀仗を奉納していきたいと願います。