甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第30号
2017年12月2日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。あっと言う間に今年も12月となりましたね。

 明け方や日没後の冷え込みに、冬の到来を痛感します。
さて、今年も甲飛喇叭隊 第十一分隊は台湾へ飛び、高雄紅毛港保安堂、台南帥軍廟、台南飛虎将軍廟、宝覚寺にてラッパ献奏と儀仗を奉納して参りました。日本と比べて温暖な台湾の冬。隊員達も現地で心温まる交流を持ったようです。迎えてくださった台湾の皆さんに、心よりお礼申し上げます。
この様子は十一分隊ホームページに写真を掲載しております。是非このエッセイと合わせてご覧いただき、当日の雰囲気を感じてみて下さい。

 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<第七回台湾派遣に参加して>


甲飛会が実施していた台湾慰霊を甲飛喇叭隊第十一分隊が引き継いで参加することになり、この2017年で7回目となりました。
その後、台中宝覚寺での台湾出身日本軍人軍属慰霊祭には本年まで欠かすことなく参加し、ラッパ献奏と儀仗を実施して来ました。
その間には、訪台の機会を活かしてその他の日本軍関連の廟とも浅からぬご縁を結んで来ております。
振り返ってみると、7年の間には台湾の慰霊祭や廟を取り巻く状況も徐々に変わって来ました。
日本国内と同じく台湾での日本軍戦友会も、高齢化が進んでいます。よく来日もされていた胡順來会長(故人。岡山第61海軍航空廠出身)の台湾中日海交協会も実質的な活動を終えられたようです。
現在、宝覚寺での慰霊祭を主宰されている台日海交会(周良仁会長)は、毎年皆さんお元気なお顔で出迎えて下さいますが、台湾からの慰霊祭参列者は少しずつ減っているように思えます。
一方、日本からの台湾における慰霊については個人、団体ともに大変盛んな状況となっています。
宝覚寺は観光地で、以前より大勢の日本人の方が訪れていましたが毎年、訪れた方とお話しをさせて頂くと、ここに台湾出身日本軍人軍属のための慰霊碑があること、日本人遺骨安置所があることを知って訪れている方が増えているように思えます。
7年前に、台湾沖航空戦で戦死された杉浦少尉(乙飛出身)を祀る台南飛虎将軍廟を初めて訪れた頃は、まだ訪れる日本人もそう多くはなかったのですが、ネットやテレビで紹介されることが増え、ご祭神そのものも水戸へご帰還なさる事業も行われました。結果、日本からの若い方の参詣者が増え、奉納品がお堂の中に所狭しと賑わっています。
日台の旧交を温め、それを未来に繋げて行くためにも絆の再評価は歓迎されるべきと思います。これを一過性の片思いに終わらせることなく、今後も益々繋がりが広がって行くことを期待します。

本年度の台湾派遣は11月23日に高雄入りし、24日に高雄紅毛港保安堂、台南帥軍廟、台南飛虎将軍廟を参拝、台中に移動して参加隊員一同で日華(台)親善友好慰霊訪問団の夕食会にご招待頂きました。慰霊訪問団は小菅亥三郎団長が率いられ、毎年私たちと同時期に台湾各地で慰霊を実施されております。あけて25日は宝覚寺における台湾出身日本軍人軍属慰霊祭に出仕、その後慰霊祭主宰である台日海交会主催の昼食会にご招待いただいたのち台北へ出て、帰国しました。

高雄保安堂はバシー海峡において船団護衛中、敵潜水艦と交戦して沈没した第三十八号哨戒艇を祀る廟で、こちらも日本からの参詣者が増えているようです。軍艦旗が高々と翻る中、廟の軒の周囲を護る水兵像群に厳めしく見下ろされつつ、隊員一同心を込めてラッパを献奏しました。以前、保安堂の皆さんとは靖国神社と明治神宮をご一緒したことがありましたが、また近々来日される予定であるとのことでした。
その後台南に移動し、今回初めてとなる仁徳区土庫「帥軍廟」へ参拝しました。
大変小さな廟で、隣に住んでいるご家族がもう一つの廟とともに管理されていました。
伺ってみると、祀られているのは山本指揮官以下、龍田氏他12名の軍人であるそうです(海陸不明)。終戦直後、台南に部隊が集合し、そこから祖国日本へ復員する計画だったそうです。その命令によって台北から台南へ飛行機で移動して来た山本指揮官以下は台南へ到達しました。しかしながら、どうしたわけか台南の飛行場から着陸許可の指示が出ない。山本指揮官以下は上空待機するもやがて燃料が尽きました。飛行機を民家に落とさぬように人がいない竹林と果樹園を探して不時着を試みるも全員殉職され、その軍人達を祀っているとのことでした。台南ではさらに飛虎将軍廟に詣でました。
翌日、宝覚寺の慰霊祭では、日台国旗の掲揚に引き続いて帝国軍艦旗掲揚時に「君カ代」のラッパを吹奏し捧銃の礼を捧げ、その後は儀仗の任につきました。軍帽の縁から滴る汗に目を霞ませながらも参列者の皆様と共に、旌旗堂堂と戦場に赴かれた台湾同胞の御魂安かれの想いを一つにしました。

当初、本拠地である東京から遠く離れた台湾における継続的な慰霊活動は十一分隊としては特殊な事例という認識でした。
現在、東京からと台湾の隊員とで実施していますが、これまで困難も少なからずありました。
しかしながら、壁に直面しても必ず導いてくれる方が現れて、綱渡りのように乗り越えることが出来、またそれによって私たち自身が台湾においても日本国内においても更に交際の輪が広がる結果となったのは不思議でもあり、ありがたくもあります。今は別の国となりましたが、台湾民族、日本民族それぞれに日治期にお互いが根を伸ばし関わり合った結果、多くのことがどこかで深く繋がっている。それは特殊なことではなく実は自然なことである。回を重ねる毎にそうした思いを深めて来たように思います。
とはいえ、やはり継続的な実施を考えると、コンスタントな東京からの隊員派遣の負担は大きく、台湾での隊員または協力員の獲得および装備と教練の充実は直面する大きな課題です。

日本における十一分隊の活動も、人に見せるためのものにあらずという当隊の考え方から、以前はあまり外部に公開してきませんでしたが、広報誌などで取り上げられたり、ホームページを見ていただいて応援してくださる方、協力して下さる方も増え、安定した活動に結びついて来ています。今後は台湾においてもイベント等において十一分隊の広報活動を実施して、人員の厚みを増していければと考えています。
今後ともご支援とご鞭撻を賜れましたら幸いです。