甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第31号
2018年1月4日 発行
 みなさん、明けましておめでとうございます。
 2018年は戊戌(つちのえいぬ)の年ですね。 戊は茂の漢字に通じ、青葉が勢いよく生い茂るような繁栄の様を表しているとの伝えもあります。 犬は誠実である事でも知られていますね。 今年の我々甲飛ラッパ隊 第十一分隊は更に研鑽を重ね、知識を蓄え、御霊に対し誠実に活動して参ります。

 さて、「誠実」という言葉。 仕事をする時、仕事道具には私たちに誠実であって欲しいものです。しかし私たちもまた、仕事道具に誠実でなければなりません。使い方はもちろん日々の手入れや観察に対し、道具から返ってくる手応えは、モノでありながらも私たちとの信頼関係を感じさせます。 一昔前までは必ず見かけた、しめ飾りを飾られた車両。これもまた信頼関係を感じさせる風景でした。

 今回のエッセイは、航空隊における新年の風景がどのようなものだったのかをお送りします。
一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<航空隊における正月飾り>


 軍隊……日本海軍においても新年を迎える飾り付けが行われていた。艦船の場合「内外舷総塗粧」といって、マストの頂点から艦内の隅々に至るまで、外部は灰色、艦内は白ペンキできれいに塗装が施された。それが終わると大掃除が行われ、メインマストと舷門に松飾りを飾った。新年を迎えるためのこれらの作業のことを越年準備と言った。

 航空隊でも、機体の一部に飾りをすることで正月飾りとしていたようだ。例えばこれは陸軍のある内地部隊の話であるが、戦闘機のプロペラスピナー(ブレード、すなわち回転する翅を保持するための「ハブ」に被せる覆いのこと。)先端にあるエンジン始動用のフック(海軍機にはない)にしめ飾りを掛けて、スピナーの上に鏡餅を置いて祝っていた例がある。

 だが、餅やしめ縄用の藁の材料は稲であり、内地と違い外地……特にラバウルのような南方では田植えが一般的ではなく、内地からの輸送で藁付きの米でも来ない限りは、そうした日本の伝統的な方法の正月祝いが出来ない。ではどのようにして飾り付けていたのだろうか?

 潮書房光人社から発行された『写真集零戦』に、ラバウル基地の搭乗員が正月を祝っている写真が掲載されている。それを見ると、零戦の三枚あるブレードを逆Y字に固定し、下になる二枚を使ってしめ縄を張り、その前で六名の搭乗員が笑顔で乾杯をしている……というものである。この写真の興味深いところは、零戦の前に置かれた机の上に、鏡餅ではなくバナナの房と椰子の実(と思われる)が供えられている点である。先述したように、南方の島々では現地では米が手に入りにくかったため、調達が容易であるバナナ等を鏡餅の代用としたのだと思われる。搭乗員たちはそのお供えを囲んで和やかに乾杯しており、陣中閑ありといった風情だ。

 お供え物は上記のように推測出来るが、問題はプロペラのしめ縄である。内地から外地への輸送は決死であり、食料である鏡餅ならまだしも、しめ縄を遥々輸送してくるのは合理的ではない。そう考えると、しめ縄に関しては現地で枯れ草などを編んで拵えたものである、と推測するのが妥当であろう。もしくは輸送関係者が、「少しでも日本の正月気分を味わってもらいたい。」という粋な計らいで持ち込んだ可能性もあるかもしれない。
 激戦場における束の間の休息を写した一枚の写真から、色んな想像を掻き立てられる。

(参考文献 「丸」編集部『写真集零戦』潮書房光人社)