甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第36号
2018年5月23日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。

 東京都内では夏日を思わせるような暑い日が続いたり肌寒い日があったりと、今年は目まぐるしい季節の変化がもたらされています。春から初夏へ。人生に例えるなら子供から若者へ、と言う段階でしょうか。

 皆さんは「予科練」と言うものをご存知かと思います。「海軍飛行予科練習生」の事ですが、制度が設けられた1929年(昭和4年)当時は、高等小学校卒業者で満14歳以上20歳未満の者に応募資格がありました。皆目を輝かせた、青年期に差し掛かる少年たちでした。 

 今回は、練習生がまさに目まぐるしい毎日を過ごした七つボタンの土地・茨城県阿見町にある土浦海軍航空隊跡で行われた、第51予科練戦没者慰霊祭の様子をレポートいたします。 この模様は、甲飛喇叭隊 第十一分隊HPでも写真にて公開しています。併せて是非ご覧ください。

 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<第51回予科練戦没者慰霊祭に出席して>


初夏を思わせる日差しと、涼しげな風の吹く5月20日(日)、私共甲飛喇叭隊第十一分隊は茨城県土浦市に所在する陸上自衛隊土浦駐屯地(武器学校)内で執り行われました「第51回予科練戦没者慰霊祭」に公益財団法人「海原会」の支援要員として私服でのお手伝い(受付、ご案内、連絡業務など)をしてまいりました。
「予科練の聖地」ともいうべき土浦は当時「土浦海軍航空隊」が置かれ、予科練を志した若者たちが学び、鍛え、そして巣立って行った場所でありました。
現在は予科練出身の英霊の御霊を慰霊、顕彰するための場として慰霊碑を中心とした「雄翔園」と資料館の「雄翔館」が置かれ、末永く後世に語り継いでいく為の場となっています。
国旗掲揚、慰霊飛行、海上自衛隊儀仗隊による儀仗・弔銃、献花、献奏等が次々と執り行われ、先の大戦で斃れた予科練出身者の御霊の安らかならんことを祈念し、出席の予科練出身者は亡き戦友を、ご遺族の方々は亡き先人の遺徳を偲んでおられました。

戦後73年が経ち、次々と当時を知る方々や慰霊祭に出席される予科練出身者が年々減っていく中、うら若い青春を戦場に散らした諸英霊の尊い犠牲があったというまぎれもない事実の記憶は風化してゆき、直接知る事の無い「歴史の1ページ」になってきています。
世代交代があるがゆえの当然の事、自然の事とはいえ、先の大戦で斃れていった英霊の事を今後いかに慰霊・顕彰していくのか、「あの戦争を知らない世代」の私たちに対して先人達から今後の慰霊祭や慰霊活動の在り方を問いかけられているようにも感じられた慰霊祭のお手伝いでした。