甲飛喇叭隊 News Letter 第43号
2019年6月6日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊です。

 関東では、いよいよ梅雨入りとなりそうです。 梅雨が明けたら待ち遠しい夏の到来ですね!

 みなさんは、東京ドーム38個分もの規模を誇る戦争遺構、筑波海軍航空隊記念館をご存知ですか。現在では民芸運動や笠間焼で有名な茨城県笠間市にあるこの記念館は、2013年に公開された特攻隊員を主人公とした映画『永遠の0』(山崎貴監督)のロケ地としても注目を集めています。

 筑波海軍航空隊は昭和9年(1936年)、霞ヶ浦航空隊友部分遣隊として発足、主に教育航空隊として戦闘機搭乗員養成を主任務とし、昭和13年(1938年)に筑波海軍航空隊として独立しました。しかしながら戦局の悪化により昭和19年(1944年)、教官および教員による実戦部隊を編成。さらに翌年には神風特別攻撃隊筑波隊が編制され、この地から出水や鹿屋へ進出、飛び立って行きました。

 建物は終戦後、学校や病院と形態を変えましたが、たくさんの人の手に支えられ、 旧司令部庁舎は現在に至るまで大切に保存されてきました。昨年2018年には市の指定管理を受け、展示館が開設。映画『永遠の0』のロケ地として使用された事をきっかけに期間限定イベントとしてオープンしていた「筑波海軍航空隊記念館」も常設の記念館としてリニューアルオープンいたしました。また、現在はソロモンに残る戦跡を取材した企画展『怪鳥の島』が開催されています(※終了)。
どうぞこの機会に足をお運びくださいませ。

 今回お送りする隊員によるエッセイは、その展示館の収蔵品の一つに焦点が当てられています。確かに生きていた隊員の息吹。一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<筑波海軍航空隊記念館を見学して>


一つの小さなペンダントがあります。アクリルの小片を刻んで作られたそれは、一人の搭乗員が文通相手であった一人の女学生に送った物でした。ペンダントを作ったのは金井正夫海軍少尉。13期飛行予備学生として筑波海軍航空隊で訓練を受け、昭和20年4月、沖縄への特攻作戦に従事。帰らぬ人となりました。金井少尉と文通相手であった女学生、二人が交わした手紙は2百通にも及びます。

その最後の手紙にこのペンダントは添えられていました。手に入れる事が出来る物の中で一番美しかったであろう物。「風防ガラス」と呼ばれ、航空機の操縦席を覆う「風防」に使用されていたアクリルの破片をハート形に刻み、二人のイニシャルを彫り込んだ小さな小さなペンダント。言葉を交わした事も無く、もはや会う事も叶わぬであろう一人の少女の為にアクリルの小片を刻む一人の青年の心中に思いを馳せた時、限り無い哀切の念に私は襲われました。自分と同じように、夢や望みや誰かへの愛を抱いて生きた一人の青年。その面影を小さな透明の欠片の向こうに、私は見た気がしました。

筑波海軍航空隊記念館(茨城県笠間市)は零戦搭乗員揺籃の地であったかつての筑波海軍航空隊の跡地にあり、戦後病院として使用されていた当時の庁舎の他、号令台などの遺構が複数保存されています。庁舎内と隣接されている記念館には当時この地で訓練を受けていた海軍搭乗員ゆかりの品々が数多く展示されており、前述のペンダントもその一つです。残された当時の建物の中を歩き、往時の品々を眺めていると、かつてこの地を行き交っていた人々の息遣いが聞こえてくる気がします。

 旧庁舎内は記念館にて申し込めばどなたでも見学をする事が出来ます。また現在、当喇叭隊に多大なご協力を頂いております、坂井田洋治氏の著書「怪鳥の島」にちなんだ特別展が本記念館では開催されています(※終了)。ソロモン群島の密林に眠る一式陸上攻撃機の姿はまさに怪鳥の亡骸のようでもあり、荘重な寺院の様にも見えました。

皆様も是非この記念館を訪れ、在りし日の海軍航空隊の姿に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。