甲飛喇叭隊 News Letter 第47号
2020年6月27日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊です。

 梅雨明けが待ち遠しい時期となりました。 今年は春先から様々な事がイレギュラーな進行となり、日常生活はもちろん、社会生活、さらには慰霊活動でさえもその対象となりました。 催行中止となってしまった慰霊祭は全国各地にあり、残念に感じられた方もいらっしゃると思います。

 ちょうど今の季節、6月23日頃には茨城県の筑波慰霊碑三基に伺い、その模様を皆さんと共有すべく情報を発信して参りました。今年は中止となってしまった慰霊祭もありましたので、お供物をお送りしました。 お伺いできた慰霊碑の様子は甲飛喇叭隊HPに掲載しておりますので、ぜひご覧くださいませ。

さて、今回お送りする隊員によるエッセイは、浦戸海軍航空隊跡の碑ついて。一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<「浦戸海軍航空隊跡」の碑>


高知県高知市池地区、県立高知高等技術学校の西側にとある碑がひっそりと建っています。
その碑は「浦戸海軍航空隊跡」の碑。
昭和19年11月、この地に開隊された「浦戸海軍航空隊」についての記念碑です。
草や木々が周りを取り囲んでいますが、掲揚用のポールがあることからおそらく戦後しばらくは戦友会で軍艦旗の掲揚をしていたのではないかと考えられます。

元々浦戸海軍航空隊は予科練の教育航空隊として開隊されました。
しかし開隊して数ヶ月後、悪化する戦局から本土決戦体制になり、練習生たちは上陸してきた敵兵を水際で撃滅するための陸戦特攻訓練を行うようになりました。

昭和20年7月15日。浦戸海軍航空隊は解隊され、練習生たちは浦戸地区で編成されていた土佐湾沿岸防備隊へ転属になります。

転属してからも陸戦特攻訓練に明け暮れていた練習生たちですが、昭和20年8月15日の終戦を迎え、司令・堀内豊秋海軍大佐指揮の下で整然と復員していきました。
(堀内大佐は呉鎮守府附第11特別陸戦隊司令であり、土佐湾沿岸防備隊に転属した練習生たちは堀内大佐の指揮下に入っていた)

兵種は飛行兵であったものの、陸戦訓練に明け暮れていた浦戸空練習生たち。
彼らは何を思い、考えて日々を過ごしていたのでしょうか。


(終)