甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第2号
2014年10月7日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。
 台風18号が過ぎ去った後には、高く晴れ渡る秋の空が美しく広がりましたね。青い空に白い雲が浮かぶ様子は、海と海軍の白い制服との組合せを思わせます。
 10月11日(土)さいたま市与野で行われる大正時代まつり(※終了)に於いて、わたしたち十一分隊は大正時代の第二特務艦隊を再現した服装にて出演いたします。海軍所作の立体再現も行いますので、かつての日々に思いを馳せる糧にしては如何でしょう。
 お時間があれば是非お出かけ下さい。

 眩しく煌めく白の夏服、冬には紺の軍服を颯爽と纏っていた海軍ですが、ではそれを纏う人物はどのような関係性を持って任務に当たっていたのでしょうか。この度お送りするコラムは全3回の連載です。
 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<山本長官を支えた参謀たち(1/3)>

十一分隊のウェブサイトをご覧になっている皆様は海軍が大好きなことだろうと思います。
海軍を扱った映画もたくさんご覧になったのではないでしょうか。
その数ある映画の中で一番人気の登場人物は連合艦隊司令長官・山本五十六大将(海兵32期)ではないかと思います(もちろん異論はあると思いますが)。その山本五十六長官を補佐したのが金の縄(参謀飾緒)を吊った参謀たちです。長官を中心に金縄の光る参謀たちが居並ぶ姿は実に華やかです。

その参謀たち。長官就任時から長官の戦死まで一貫して同じ人たちだったのでしょうか。映画の中では最初から最後まで同じ役者が演じているため、そのような錯覚を受けることもあります。しかし実はそうではありませんでした。参謀たちは何度も人事異動が行われ大勢の参謀が交代していきました。
今回はその山本五十六長官を補佐した連合艦隊の参謀たちを、長官就任から太平洋戦争開戦の時期に焦点を絞って紹介したいと思います。

その前に、連合艦隊司令部の参謀について簡単に触れておきましょう。
参謀たちの筆頭は参謀長でした。参謀長は、長官を直接補佐するいわば女房役のようなものでした。その参謀長は参謀たちに命令を出し、参謀たちは兄貴格である先任参謀を中心に各自が担当する職務に当たりました。職務は作戦、砲術、水雷、航海、通信、機関と多岐にわたります。
では本題に戻ってその参謀という重役を担った方々を個人別に紹介いたしましょう。


まずは参謀長。
皆様は参謀長といえば誰を想像するでしょうか。いかつい顔で無表情。ついたあだ名が「黄金仮面」。ご存じ宇垣纏少将(海兵40期)ではないかと思います。この宇垣少将、映画では山本長官就任とほぼ同時に就任して山本長官の忠実な女房役をつとめたようにみえます。しかし宇垣参謀長の就任は意外に遅く、長官就任から約二年の後でした。宇垣少将の前には三人の参謀長がいたのです。

一人目は高橋伊望少将(海兵36期)。高橋少将は山本長官の前二代にも仕え、約二年間参謀長を勤めていました。そのためさすがに長いと異動の辞令が発令され、山本長官とのペアは三カ月で終わりました。

二人目は福留繁少将(海兵40期)。福留少将はそれまで連合艦隊の旗艦・長門の艦長でした。つまり福留艦長は長門から退艦することなく、そのまま参謀長として長門に留まることになったのです。福留参謀長はその後約一年半、山本長官を補佐しました。この福留参謀長のときに山本長官は飛行機による真珠湾攻撃を思いつき、彼にそのことを相談しています。しかし福留参謀長はこの案に対し非現実的であるとして賛同することはありませんでした。この後、福留参謀長は軍令部作戦部長として転任します。

三人目は伊藤整一少将(海兵39期)でした。伊藤少将は人格者であり公正なものの見方ができる人物で、人事局の課長や局長を歴任してきました。アメリカ駐在経験もあり、同じアメリカ通である山本長官の信頼も厚かったようです。しかしこのコンビはわずか四カ月で終了します。軍令部総長に就任した永野修身大将(海兵28期)が、軍令部次長として伊藤少将を希望したためです。山本長官も、先輩である永野総長の希望には逆らえませんでした。

そして四人目が宇垣纏少将です。この宇垣少将。実は福留少将の次の参謀長に選ばれていたのですが、山本長官がこれに強く反対し話が流れたという経緯がありました。山本長官は宇垣少将を毛嫌いしていたというのです。それは山本長官が長く反対していたドイツ、イタリアとの三国同盟を、当時軍令部部長だった宇垣少将が認めてしまったためといわれています。もちろん宇垣少将ひとりの問題ではありませんが、山本長官は同盟を認めた責任者のひとりとして嫌ったのでしょう。人事局から福留参謀長の後任に宇垣少将を推薦されたとき、山本長官は「巡洋戦隊の司令官をやったこともない人間はごめんだ」という理由で拒否しました。前任の福留参謀長も司令官の経験はないため、非常におかしな理由です。そこで急遽、巡洋戦隊である第八戦隊の司令官だった伊藤整一少将が就任しました。宇垣少将は伊藤少将の後任として第八戦隊司令官となります。しかし前述のように、永野軍令部総長の希望で伊藤参謀長は軍令部に引き抜かれます。人事局はまたも宇垣少将を参謀長に推薦しました。さすがに巡洋戦隊の司令官を勤めた宇垣少将に対し、山本長官も拒否する理由がなくなり受け入れることになりましたが、快く迎えることはできませんでした。二人が打ち解けていくのはミッドウェー海戦の直後からであり、そのほぼ一年間は気まずい空気が漂っていたようです。これは山本長官をヒーロー視する映画ではなかなか描くことができない複雑な人間模様でしょう。

ちなみに参謀長の交代が唯一描かれている映画が「TORA! TORA! TORA!」(FOX 1970年)です。ただし残念ながら、福留参謀長から伊藤参謀長ではなく、福留参謀長から宇垣参謀長というものでした。


参謀長の次は山本長官の腹心といえる参謀たちを紹介いたします。