甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第15号
2015年12月30日 発行
 みなさんこんばんは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。
 今年もいよいよ終わりを迎えようとしておりますが、みなさんにとって今年はどのような年でしたか? 日本にとって、今年は終戦70年という大きな節目を迎えた年でした。

 70年という時間はとても長いものですが、さらに長い時間、恒久的に、この時代を風化させてはいけないという思いを沢山の方々が胸に抱いたのではないのでしょうか。
 70年前、「世界大戦」という文字が示す通り沢山の国や地方が戦の渦中にありましたが、この日本の隣国である麗しい島・台湾も例に違わず、日本と共に戦いの道を歩んだのでした。
 
この一年をしめくくるNewsLetterは、台湾出身軍人軍属慰霊祭に参加したレポートを2回にわたってお送りいたします。
 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。


この記録を『活動詳報』に掲載しています。併せてご覧下さい
<台湾で神様になった日本軍人 1/2>
—台湾出身軍人軍属慰霊祭に参加して—


終戦70年。
平成27年は特別な思いの込められた回顧の年となりました。
戦前の世界地図で朝鮮半島の一部、樺太の一部、そして台湾は赤く塗られ、日本国であった時代がありました。
「台湾は日本の植民地ではなかった」という戦後の見方もありますが、日本政府の統治のもと一つの国民として生きていた時代があったのは間違いではなかったのだろうと思います。

甲飛喇叭隊第十一分隊は今年も慰霊顕彰のため台湾を訪れました。
今回は3泊4日という限られた時間の中、高雄、台南、台中の3か所の慰霊に参加させていただきました。

平成27年11月24日 高雄
「紅毛港 保安堂」。日本海軍の「哨戒艦が祀られている」道教寺院。
十一分隊がこちらを訪れるのは初めてですが、本年9月に保安堂の皆様が来日し靖國神社に参拝された際に当隊とも御縁が繋がり実現しました。

私たちが到着した時は日本軍艦旗が翻り、日本軍歌が流されていました。
廟は最近立て替えられたばかりで新しく美しく、鮮やかな中華の伝統色に彩られ、屋根の所々に小銃を持ち二種軍装をした水兵が廟を守っています。

1946年 漁師の網に一つの頭蓋骨がかかりました。持ち帰り海岸にある小屋「保安堂」に「海府大元帥」として供え祀ったのが始まりです。お祀りしている海府大元帥について知らなかったため1990年に日本語のわからない神官を通してお尋ねしたところ「自分は大東亜戦争で戦死した日本海軍第三十八番軍艦の艦長であり、日本の護国神社に帰りたい」と日本語で答えたそうです。その後海府大元帥の神託により沖縄の護国神社を訪ねたところ第三十八番軍艦が撃沈された史実が刻まれた記念碑を発見。史実と一致したため、日本海軍軍艦の模型を造り「38番神艦」として祀ることとなりました。
38番神艦には36名の兵士が乗り、細かな装備、生活用具まで揃い主砲、電探も可動となっており、まさに神様たちが「いつでも出撃できるように」なっています。

日華(台)親善友好慰霊訪問団の慰霊式に甲飛喇叭隊第十一分隊はラッパ譜「水漬ク屍」を献奏しました。


(つづく)
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