甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第16号
2016年1月29日 発行
 みなさんこんばんは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。

 みなさんは今年の幕開けをどのように過ごされましたか?
日本各地はもとより世界に点在する神社では、年明けを言祝ぐ人々で賑わいを見せました。 元日にはご祭神を特に厚くお祭りする神社も多く、清々しい空気を肌で感じられた方も多いと思います。 特別なお祭りは元旦を始め、その神社のご祭神や縁のある日である事も多く、「例大祭」や「大祭」として年に数度催されるようです。
 このようなお祭りは神社だけではなく仏教寺院でもみられ、戦に縁を持つお寺でも慰霊祭という形で今も尚盛んに催されています。

 今年最初のNewsLetterは、昨年末の続き、2回に渡ってお送りする台湾出身軍人軍属慰霊祭に参加したレポートの後半です。
 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。


この記録を『活動詳報』に掲載しています。併せてご覧下さい
<台湾で神様になった日本軍人 2/2>
—台湾出身軍人軍属慰霊祭に参加して—


平成27年11月24日 台南
 鎮安堂 飛虎将軍廟   「台湾で神様になった日本軍人」

台南に移動。11月とはいえ、日本でいえばまだ夏の陽射しです。
飛虎将軍廟は1944年10月12日の台南空襲に出撃し、グラマンと交戦して被弾急降下。直下の集落への墜落を避けて集落を離れてから落下傘にて脱出したところ機銃掃射を浴び戦死された杉浦茂峰飛行兵曹長をお祀りしています。「飛虎」とは戦闘機のことです。
海軍の軍帽を被り、強い意志を感じさせる表情。軍服の上に鮮やかな中華民族衣装をかけられた将軍の像が鎮座しています。毎日献上されるタバコの煙が揺れていました。
慰霊訪問団と再び合流し、慰霊式においてラッパ譜「水漬ク屍」を献奏し、杉浦兵曹長の霊をお慰めしました。

平成27年11月24日 台中
宝覚寺    「大東亜戦争旧日本軍台湾軍人・軍属慰霊祭」

早朝より宝覚寺に入り打合せ。すでに大きな天幕が張られ、慰霊祭の準備が始まっていました。
パックツアーでは必ず市内観光コースに入るお寺です。高さ30mの金色に輝く弥勒菩薩(布袋様)がニッコリ微笑む幸運・招財のパワースポットとして有名です。
慰霊祭の準備が進む間もツアーバスが次々到着し、日本人観光客がガイドの説明を受けていました。ただここに台中付近で亡くなった1万4千人もの日本人の墓地があること、まして大東亜戦争で日本軍人として戦い斃れた台湾の若者たちの慰霊祭がここで毎年行われていることはほとんど知られていないようです。
これからここで何が行われるのか、私たちにおたずねになる日本人のツアーの方も多く、このような慰霊祭が台湾で行われていることが日本で少しでも認識され広まればと思いました。

慰霊祭が始まり、日本国歌が流れる中、日本国旗の掲揚。続いて中華民国国旗掲揚と中華民国(台湾)国歌。
ラッパ譜「君カ代」吹奏によって軍艦旗が掲揚されました。
続いてラッパ譜「國ノ鎮メ」による黙祷。
台湾台日海交会長と、日本側の代表の挨拶と祭文奏上。
「海ゆかば」の斉唱で慰霊祭は終了しました。

慰霊祭のあと喇叭を提げていた私に「私も喇叭手だったのだ」という台湾の方が話しかけてこられました。
軍隊時代はとても厳しかったこと。そして今でも吹けるということ。私の喇叭をお貸ししました。「起床」を力強く吹奏されました。
従軍看護婦だった方の貴重なお話も頂きました。お召しの日赤従軍看護婦の制服にとても誇りを感じました。

私たちの活動は戦没者への慰霊ですが、同時にご列席の方々にも戦争で苦労されたことへの労いと感謝の気持ちが伝わればと思いました。


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