甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第28号
2017年1月7日 発行
 明けましておめでとうございます。酉年の2017年、皆さんはどのような「一年の計」を立てられましたか?

 さて、酉年の「酉」という字は鶏を当てはめていますね。鶏は非常に有用な家畜ですが、皆さんは幾つその用途をご存知でしょうか。動物性食料源としてはもちろん、衣料品や肥料、飼料、更には闘鶏や愛玩・観賞用の品種も作出されていて、鶏と人間の歴史の長さを感じさせますね。
 装飾も素晴らしい上に実用的なものというのはもちろん鶏だけに限らず、古今東西、私たちの身近な日用品にも数多く散見されます。

 今年最初のエッセイは戦艦武蔵と共に海に沈んだ猪口艦長と愛用したシャープペンシルについて。隊員が実物を観察し、考察を加えたエッセイを2回に分けてお送りします。
 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<猪口艦長遺品のシャープペンシル (1/2)>


巨大な戦艦同士が相手の装甲を打ち破る強力な主砲を備え、砲弾を命中させることにこそ莫大なエネルギーが傾注される大艦巨砲主義を背景に、軍艦武藏は我が海軍が大東亜戦争中に竣工させた空前絶後の大戦艦でした。
その最後の艦長となる猪口敏平(としひら)大佐は昭和19年8月12日、武藏に着任しました。猪口艦長は「砲術の神様」といわれた射撃理論の権威で、砲術学校教頭を経ての戦線復帰でした。 本艦について生存者に緻密なインタビューを行い、極めて詳細なノンフィクションである手塚正己氏の著書『軍艦武藏』には、《「武藏」のみならず全艦隊に時宜を得た人事として歓迎された。(新潮『軍艦武藏-上』P551)》とあり、当時の海軍将兵の期待感が伝わってくるようです。 人物像としては《痩形長身で、口数が少なく常に物静かで、古武士を思わせる雰囲気を漂わせていたという。禅の道に造詣が深いことでもよく知られていて、兵員たちは夜の前甲板に安座して、艦長の多分に禅味を帯びた訓話を幾度か聞かされた。(新潮『軍艦武藏-上』P551)》と描写された48歳の猪口艦長は着任前、ご子息に乗艦が沈没した際にどうするのかと問われ、沈没して艦長の死体が浮いてきたらそんな恥知らずのことはない、柱に身体を縛り付けると覚悟を示されたそうです。

昭和19年10月22日、武藏は僚艦とともにブルネイを出撃、戦争の天王山となる捷一号作戦(レイテ沖海戦)に参加しました。
今次大戦の幕開けとともに海の戦場は大艦巨砲から航空機主導へと変革し、敵主力戦艦と渡り合いそれを撃滅することを期待された世界最大の戦艦も、また「砲術の神様」も、時代のうねりに坑がうことは叶わず、そのような機会の無いまま、24日のシブヤン海上では度重なる米艦載機の空襲に喘いでいました。艦体は多数の魚雷と爆弾によって傷つき、艦長自らも右肩を負傷しました。午後七時となりもはや武藏は戦闘続行不可能となり機密書類が焼却され、総員退艦を前に艦長は残った第二艦橋に各科長を集めました。

靖國神社遊就館の大展示室には、軍艦武蔵会によって24日の戦闘経過を簡潔に示した遺書の全文が掲げられ、艦長の遺品となったシャープペンシルの実物と由来書が添えられています。それによると、沈没直前にこのペンで遺書を走り書きした艦長は、手帳とペンを副長に渡して後事を託し、のちにこのペンは副長よりご遺族に渡されて靖國神社に寄贈されたとあります。 手塚正己氏の『軍艦武藏』も総員退艦前の第二艦橋における猪口艦長の描写でこのペンについて触れています。《胸のポケットから取り出した手帳を加藤副長に手渡した。そして、シャープペンシルを差し出した。「副長には、記念にこれを」シャープペンシルは当時としては珍しい六角形をしていて、六色の色鉛筆が使えるようになっている。それは、艦長が特務艦「石廊」の艦長(昭和十五〜十六年)をしていた時に、サンフランシスコで買い求めた愛用品であった。(新潮『軍艦武藏-下』P185)》 この記述が、猪口艦長の遺されたシャープペンシルについて、これまで一番詳細に書かれたものかもしれません。

さて、ここでシャープペンシルの歴史を見てみると思いのほか古いことに驚かされます。1791年にグレートバリアリーフで座礁後沈没した英国海軍のフリゲート、HMSパンドラ号の残骸からシャープペンシルが発見されたことから、それ以前にはすでに実用化されていたと想像されます。日本では「繰出鉛筆」と呼ばれ、芯も今よりもずっと太いものが使われていました。1877(明治10)年頃、ドイツのクルップ社製のものが日本にも伝わってきたと言われています。 軍服史に詳しい方ならば、参謀や副官の胸間に燦く「飾り緒」と呼ばれるモールをご存知と思います。一説にはこれは幕僚達が書類にサインをするために鉛筆を軍服に紐で吊るしていた名残であるとされますが、明治期の日本の飾り緒を見ると、ひもの先に付いたフデ(ペンシル)と呼ばれる部分に実際に繰出鉛筆が仕込まれているものがあります。多くの書類に触れる高級士官達にとって筆記用具は携帯必須でしたが、削る必要のない機械式鉛筆はさぞ便利であったことでしょう。 日本でもその後、シャープペンシルが模倣、製造されて行きました。


(参考文献 手塚正己著『軍艦武藏』新潮文庫)


<つづく>
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