甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第32号
2018年3月19日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。

 やっと春めいてまいりましたね。
桜の開花宣言もなされ、いよいよ物事が活発に動き始める季節となりました。 神社では春季に例祭が催行されるところもあり、神事に於いても気勢の高まりを感じられます。 同じく、慰霊活動においても活動的なシーズンを迎えます。 厳しい冬を乗り越え、雪解けを迎える春。 御霊に対し、再びの感謝と我らの無事の報告ができるのは喜ばしい事ですね。

 今回のエッセイは、昨年秋10月に催行された「神風特別攻撃隊敷島隊五軍神並びに愛媛県特攻戦没者慰霊追悼式」について。十一分隊から派遣された一人の隊員が感じた様子をレポートいたします。
秋といえば、慰霊祭シーズンの終盤。 私たち十一分隊は、今年も歳の始めから終わりまで、無事滞りなく御霊をお慰めできるよう努めてまいります。

 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<神風特別攻撃隊敷島隊五軍神並びに愛媛県特攻戦没者慰霊追悼式に参加して (1/2)>


昭和19年10月25日。

この日、関行男海軍大尉を指揮官とする神風特別攻撃隊・敷島隊が出撃しました。
同日10時49分、護衛空母5隻からなるアメリカ海軍第77.4.3任務群へ攻撃を開始。
護衛空母5隻のうち「キトカン・ベイ」、「カリニン・ベイ」、「ホワイト・プレインズ」 の3隻が損傷。
「セント・ロー」には爆装した特攻機が飛行甲板へ突入、同機搭載の爆弾は飛行甲板を 貫通して爆発し右舷格納庫甲板に火災を起こした。
その火災により格納庫内にてガソリンや航空機搭載の爆弾や魚雷に引火、数度の爆発の のち「セント・ロー」は沈没。

出撃日より3日後の10月28日に、敷島隊の戦果が海軍省公表にて発表。
敷島隊として出撃した5人(下に官姓名を記す)は軍神となったのです。
そしてこの5人はいずれも20歳前後の若武者でした。

一番機 海軍中佐    関行男
二番機 海軍少尉    中野磐雄
三番機 海軍少尉    谷暢夫
四番機 海軍飛行兵曹長 永峰肇
五番機 海軍飛行兵曹長 大黒繁男

(階級は特進後)


時は変わり、平成29年10月25日。

愛媛県西条市大町にある楢本神社において、前週までの悪天候が嘘のような晴天の下で 「神風特別攻撃隊敷島隊五軍神並びに愛媛県特攻戦没者慰霊追悼式」が開催され、筆者は 式典内プログラムの「旧海軍儀仗」で銃隊の兵として儀仗を行うために十一分隊から一人、当該の部隊へ参加させていただきました。

式典には特攻隊遺族や元軍人の方々や、海上・陸上自衛隊の高官などの多くの方々が出席され、 戦後72年経った今でも戦没者への慰霊の気持ちは絶えることがないのだと実感しました。

会場の設営には地元の方々や隊友会の方々が参加し、この慰霊祭が地元にとってなくてはならない祭りであることがわかります。

開式前、どこからか航空機の飛ぶ音が聞こえてきたかと思ったら上空に数機の航空機が飛来してきました。
毎年この慰霊祭のために、敷島隊が突入した時刻に合わせて飛行を行ってくださっているそうです。

開式の言葉の後、海上自衛隊喇叭隊の吹奏で国旗並びに軍艦旗の掲揚が行われました。
筆者を含む旧海軍儀仗隊の隊員も海上自衛隊の号令に合わせて着剣、捧げ銃を行いました。
嚠喨たる喇叭の響きの中、会場にいる全員の視線を受けて国旗と軍艦旗が上っていく光景には何とも言えない感動を受けました。

国旗・軍艦旗掲揚後は国歌を斉唱し、その後は鎮魂の礼として献茶が行われました。

献茶の後は全員が起立し、戦死された英霊の方々に対して黙祷を行いました。

続いて海上自衛隊儀仗隊による儀仗の礼が行われました。
精悍な隊員の方々が指揮官の鋭い号令の下で碑前まで行進し、碑に正対。
指揮官の「ささーげー、銃ッ!」の号令一下、全員の動作が一致しての捧げ銃には只々圧倒されるばかりで、その後に控える自分の出番できちんと出来るだろうかと少し不安に…。
捧げ銃の後は弔銃発射です。
指揮官の号令の下、耳を聾するような弔銃の音が辺りに3発響き渡りました。


<つづく>
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