甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第33号
2018年3月27日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。

 寒の戻りも過ぎ去り春うらら。 満開を迎えつつある桜を見ると心が踊るような、浮き足立つような気分になりますね。 桜色の霞を見ると、ああ今年も、と感じる方もいらっしゃるでしょう。 もしかしたら読者の皆さんの中には、巡ってくる慰霊祭などに時の流れを感じる方もいらっしゃるのかもしれません。
しかし緑に囲まれて佇んでいる慰霊碑こそが、一番季節の移ろいを感じているのかもしれませんね。

今回のエッセイは前回に引き続き、昨年秋10月に催行された「神風特別攻撃隊敷島隊五軍神並びに愛媛県特攻戦没者慰霊追悼式」についての第二回です。十一分隊から派遣された一人の隊員が感じた様子をレポートいたします。

 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<神風特別攻撃隊敷島隊五軍神並びに愛媛県特攻戦没者慰霊追悼式に参加して (2/2)>


儀仗隊が撤収した後、式は献花に移ります。
市関係者をはじめ、自衛隊高官、遺族代表、来賓、各種団体代表、一般参列者と、非常に多くの方が心を込めて献花をしていました。

その後は地元のコーラスグループによる追悼歌合唱が行われました。
「関中佐顕彰歌」や「若鷲の歌」等が歌われ、参列者の方々は皆聴き入っておりました。

追悼の歌合唱の後、いよいよ旧海軍儀仗の出番となりました。
喇叭手の方は喇叭の最終確認を行い、銃隊の方は動作確認と服装点検を行っていき、いよいよ本番に。

衛兵伍長(海軍上等兵曹)の号令の下、碑の前まで行進します。
恥ずかしいことに最終確認の際に足が震えていたのですが、いざ始まってみると震えは収まり、不思議と心から雑念が消え去っていきました。
英霊の方々を心から弔いたい、これだけが心に浮かんでいました。

碑の前まで儀仗隊が進み終わった後、立テ銃をして肩に担っていた小銃を下します。
そして「左向ケ左!」の号令で碑に正対。

「嚮導この位置!」の号令でそれぞれが位置を調整、それが終わったあとで「着ケ剣」の号令で着剣。
ここまで終わったら衛兵伍長が衛兵司令(海軍大尉)に「用意よろし」と報告をします。

衛兵司令が碑の前に進み出て長剣を抜刀、そこで「気ヲ付ケ!」という鋭い号令。

そして「捧げぇー、銃ッ!」の号令で全員が揃って捧げ銃を行い、喇叭手が「命ヲ捨テテ」を吹奏します。
吹奏が終わり、衛兵司令の「立テ銃」の号令で小銃を下し、衛兵司令から指揮を継承した衛兵伍長の「脱レ剣」の号令で銃剣を外し、「担え銃」の号令で銃を肩に担い、衛兵伍長の指揮で退場していきました。
これにて旧海軍儀仗隊の出番は終了です。

続いて追悼電報の披露があり、その次には「海ゆかば」の斉唱。
参列者の皆さんが心を込めて歌ったということもあり、胸を打つ歌声が会場に響き渡りました。

「海ゆかば」の斉唱が終わった後は遺族代表の謝辞が行われました。
行ったのは神雷部隊第五建武隊員として昭和20年4月11日に出撃・戦死された曽我部隆少尉(丙種予科練第16期出身)のご遺族の方です。

謝辞の後は国旗・軍艦旗降納です。
掲揚の時と同じく全員が起立し、旧海軍儀仗隊も海上自衛隊儀仗隊の号令に従って着剣し、捧げ銃を行いました。

国旗・軍艦旗降納が無事に終わり、閉式の言葉を以て平成29年の「神風特別攻撃隊敷島隊五軍神並びに愛媛県特攻戦没者慰霊追悼式」は無事に終了しました。


今回、敷島隊の慰霊祭に参加させていただいて「実行委員の方だけでなく、地域の人もこの慰霊祭を大事に思ってくれている」ということが肌で感じることが出来ました。
準備の段階から式の最中、終了後の片づけを通して見ていても、どなたもが真剣に作業をされていました。
つまり、郷土出身の英霊を弔うのはもちろんのこと、ご高齢になってもこの慰霊祭に参加してくださるご遺族の方々のために出来る限りのことをしようという心意気を全員が持ち合わせているということです。

戦後72年が経った今でも英霊の方々を弔おうとする気持ちが絶えていないことや、また家族を戦争で亡くされたご遺族の方々のために毎年慰霊祭を続けていこうという気持ちがあるということは大変すばらしいことだと私は思います。

この先ずっと、この慰霊祭が続いていくことを願います。


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