甲飛喇叭隊 News Letter 第44号
2019年7月9日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊です。

 関東では残念ながら催涙雨、雨模様の七夕でした。 七夕の物語。織姫と彦星がそれぞれの仕事を疎かにしたために天帝に離れ離れにさせられ、年に一度、七月七日のみ会えるというお話でしたね。

 一つの仕事を成し遂げるには、沢山の工程をしっかりとこなしていく必要があります。どんな仕事でも準備はとても大切だという事は「網なくして淵にのぞむな」という言葉が示す通り、古来から現代に至るまで、また永遠にぶれる事のないセオリーですね。

 さて、みなさんは三田紀房先生の描かれる漫画『アルキメデスの大戦』(講談社)をご存知ですか。2015年より連載が開始された、数学者の視点で戦艦大和の建造を描いたこの大変ユニークな作品が、映画『永遠の0』山崎貴監督の手により映画化されます! 現在公式サイトで公開されている予告編では、主演・菅田将暉さんの鬼気迫る演技を垣間見る事ができ、7月26日の公開が待ち遠しい限りです。

 この映画には我々甲飛喇叭隊も協力、更には我らが隊長も自身のコレクションを貸し出すなど、映画製作の準備には微力ながらも精一杯お力添えをいたしました。 どうぞみなさん、映画館に足をお運びくださいませ。
<大伯父と回天と涼月と… (1)>


「昔、佐世保海軍工廠で特殊潜航艇を作っていた。」

2016年9月下旬、筆者は祖母と鹿児島県に旅行し、祖母の兄(以下、大伯父と称す)夫妻に会いに行った際に大伯父から聞いたのが、冒頭の言葉である。筆者はそこからもう少し話を聞こうとしたが、本人はあまり乗り気でなく、結局それ以上の事はわからなかった。それから2年半が経とうとしていた2019年3月上旬、筆者はある用事で鹿児島県に行くことになったため、大伯父にまた会って冒頭の話を聞くことにした。昭和3年生まれの大伯父は既に90歳であり、今回が直接聞くことが出来る最後の機会になるかもしれないと思ったからだ。大伯父夫妻宅に着き夕食が終わりかけていた時、大伯父の方から、特殊潜航艇についての話を切り出された。

大伯父は鹿児島県内の某工業学校(現在の工業高校)2年の時、昭和19年6月に勤労動員された。学校から45人が佐世保海軍工廠に行き、10人ほどで4班に分けられ、大伯父は2班の班長を務めた。トンネルの中で回天の船殻を作る作業をしており、大伯父らが作った回天の船殻は呉に送られて中に機械等を積んでから、実戦部隊に送られるのである。作る際は、まず造船の事務所に行き、船殻図(設計図のようなもの)に判子を捺してもらい、夕方の作業終了後に返却したそうである。
また、ある曇りの日(時期不明)、警戒警報が鳴っていたが、晴れた瞬間に敵戦闘機が来襲し、その瞬間に空襲警報に切り替わった。しかし既に遅く、船台(ドックの斜面)で作業していた鹿児島県内の実業高校の生徒6人が機銃掃射で死亡した。大伯父は前述のようにトンネルで作業していたので無事だった。

本来筆者が聞きたかった内容は以上だけであったが、その後大伯父は棚から書類を取り出した。見てみると、駆逐艦涼月について紹介しているホームページのコピーを纏めたものであった(ちなみに印刷日は2007年3月3日) 。
そして新たに、遠い親戚が駆逐艦涼月に乗っており、沖縄への海上特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)で戦死したことが判明した。筆者は祖母から「駆逐艦か潜水艦に乗って戦死した人が親戚にいる」という話を聞いていたが、まさか坊ノ岬沖海戦に関わっているとは想像だにしなかった。筆者は引き続き、涼月についての話を聞いた。

昭和20年4月8日、大伯父の母(筆者の曾祖母)のいとこにあたる人物(以下、縁戚と称す)の乗った駆逐艦涼月が佐世保の7番ドックに入渠した。この時、ドックの開閉係が「涼月がバック(後進で航行)で入ってくる」と言っていたのを聞き、縁戚が涼月に乗っていることを知っていた大伯父はそれを見に行った。縁戚が死んだことを聞いた大伯父は「せめて遺体の顔を拭かせてほしい」と上の人間に頼むも「それは出来ない」と断られた。縁戚の遺体はその後、福岡の嬉野の火葬場に移送され荼毘に付された。
さらに大伯父曰く、縁戚含め3名が第一弾薬庫直下の区画にて、角材等を用いて「内側」から防水処置を施したことで、涼月の本土帰還に貢献し、他の多くの乗員の命を救った。区画密室化による酸欠で窒息死することと引き換えに。また、縁戚の階級は「兵曹長」だったのとのこと。

上述したホームページのコピーにある縁戚の最期にまつわる部分には、わかりやすくマーカーが引かれており、大伯父はそれを交えてこの事を筆者に語った。涼月については全く想定していなかった話であり、正直に申すと当初はあまり実感が湧かなかった。しかし、自分が死ぬことを承知でダメージコントロールを実施し、乗艦ひいては他の大勢を救った者が、自分の家系にいた…そのことを就寝前に自分の中で改めて実感が湧き、筆者は目頭を押さえた。

(つづく)

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