甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第8号
2015年1月15日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。
 15日は関西圏では松の内の最終日ですね。関東では7日までとされているようですが、江戸時代中期までは関東でも15日までとなっていたようです。

その江戸時代、後期にはヨーロッパの軍制が幕府や藩に導入され、やがて明治には国軍として近代国家に相応しい軍制が芽吹きました。お国が違えば言葉も通じにくかったと言われる当時の日本にあって、連帯感の醸成や士気を鼓舞するには「軍歌」が大きな役割を担っていました。
今回はその「軍歌」に焦点を当てたエッセイを、全三回に渡ってお送りいたします。
一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。


◎2月8日(日)、幕張メッセで開催される「ワンダーフェスティバル[冬]」に於いて、イベント弁当に定評のある株式会社 江戸まとい様が、当時の瑞鶴掌衣糧長が残した貴重な記録から再現を試みた『空母瑞鶴戦闘配食 五航戦にぎり』を携え出展されます。
我々甲飛喇叭隊 第十一分隊は当日、微力ながら販売協力員として参加いたします。
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数に限りがありますので、詳細が気になる方は是非十一分隊ホームページにあるバナーよりご覧下さい。
(※予約受付は終了いたしました)
<軍歌・戦時歌謡とレコード・CD 1/3>


さてさて、軍歌とは…軍隊での儀礼に用いる歌、軍人や一般大衆に軍人精神を鼓吹する歌、戦地や軍隊生活を叙述する歌。銃前銃後の戦意高揚を増強させる為の歌、といわれるが多くの兵隊たちには悲しい情緒あふれるものが好まれたようです。

日本最初の軍歌としては「宮さん宮さん」(トコトンヤレ節)が定説とされ、皆さんよくご存知と思いますが、慶応4年3月朝廷は有栖川宮熾仁親王を東征大総督に任じ薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて東海道を江戸に下った時、鼓笛隊のリズムに乗って ♪宮さん〜宮さん〜♪ と歌いながら行進したのが軍歌第一号とされています。「宮さん」とは有栖川宮熾仁親王のことで「トコトンヤレナ」とはとことんやり通せの意味。日本の俗謡(あいのて、トコトンヤレ…)などと外国の行進曲のリズムをうまく融合させた感じです。幕末を描いた時代劇で鼓笛隊が ♪ピーヒャララ〜♪ と演奏しながら行進してきますがだいたいそこで終わってしまい、その後 ♪宮さん〜〜♪ と歌いだします。当時のリズムは具足を付けて行進する為現在よりはかなり遅いリズムで演奏されていたそうです。

その後、西南の役にも軍歌らしきものは出ませんでしたが、明治13年に「海ゆかば」が海軍儀礼用として作曲されて初めて正式軍歌として登録されました。つづいて陸軍用の「国の鎮め」「大君の」が出来ましたが、あまり歌われる事はありませんでした。西南戦争といえば「抜刀隊」が有名ですがこれは明治15年に発表された詩集に、当時警視庁の旧会津藩士を中心に東北出身の士族で固められた決死隊の活躍を詩った詩「抜刀隊」が掲載され、これに陸軍軍楽隊の教官をしていたルルーというフランス人が作曲して、明治18年7月に鹿鳴館の演奏会で初めて軍楽隊が演奏して歌われました。日清日露の戦役ではさらに軍歌が多く作られるようになり、その中で明治28年に当時軍楽隊員だった永井建子が清国山東省の小さな部落に雪に埋もれて駐屯した苦労を元に作詞作曲した「雪の進軍」は、現地の将兵には好評で第二軍司令官大山巌大将も愛唱し、大正5年12月家族にこのレコードをかけてもらいながら永眠したと伝えられています。
ちなみにこの曲は、現在人気となっているアニメの中で可愛い萌えキャラが雪の中で歌うシーンがあり、チョッとブームになっているようです。

大正時代は軍歌不毛期といわれ第一次大戦で青島占領後に守備兵たちが歌いだした「青島節」(ナチョラン節)、有名なところでは「艦船勤務」(大正3年)、「江田島健児の歌」(大正10)ぐらいでしょうか。
○○節といった兵隊ソングとは兵隊たちが隊内で自然発生的に歌われ始めたり、元歌があってそれを替え歌にして広まった歌のことで、作者不詳が多く軍規や演習で溜まった欲求をはらすチョッとエッチな歌が多いようですね(笑)。「軍隊のぞき節」「ヨサホイ節」「酋長の娘」等々…。この中で「軍隊のぞき節」は筆者の大好きな歌で、歌詞内容が週に一度の外出日に慰安所に出かけ、差しつ差されてあとは突撃あるのみ、点呼に遅れれば重営倉、帰ってくるのは2分前、と言う内容です(笑)。クラウンレコードから小林旭が歌ってます。興味のある方は是非是非(笑)。
そして超有名なのが誰もが知っている「同期の櫻」ですね。昭和13年に「少女倶楽部」誌に掲載された西條八十の「二輪の櫻」と題する上海陸戦隊の戦友物語の詩が元歌です。それが「戦友の唄」と改題されて樋口静雄がキングレコードから出したのがいつの間にやら「同期の櫻」になりました。昭和15年ごろから海軍兵学校では盛んに歌われていたようです。


(つづく)
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