甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第20号
2016年4月30日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。
 熊本・大分、九州地方の地震被害にお見舞い申し上げます。

 みなさんは、ゴールデンウィークはどのようにお過ごしになりますか? 日本各地に点在する史蹟を訪れるには、この季節は最適ですね。わたしたち十一分隊は5月2日(日)に、神奈川県は江の島に鎮座する、日露戦争で活躍した明治時代の軍人・児玉源太郎をお祀りする児玉神社の例大祭に於いて、今年も儀仗奉納でご奉仕いたします(※終了)。 境内には戦地縁の品もあります。足を運んで当時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 今回のニュースレターは、先日お送りいたしました岡山県の軍事史蹟にまつわるレポート、第二弾です。
 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<岡山県の軍事史蹟 2/3>


☆備中高松エリア
JR岡山駅から稲荷山方面のバスに乗り約30分ほどのところに日本三大稲荷のひとつである「最上稲荷」(正式名称:最上稲荷山妙教寺)があります。
ここは岡山県内で唯一、廃仏毀釈を逃れたと言われており、神仏習合の信仰形態をいまも残しています。

バスを降りて門前町と呼ばれる参道を進み、仁王門を抜けてすぐ右のところに大客殿と根本大堂があり、そのすぐそばに「比島観音」という観音様があります。
この観音様は、第二次世界大戦中、フィリピンにおける激戦で亡くなられた軍人軍属在留邦人合わせて約50万の精霊を供養するために昭和52年に建立されました。
フィリピンでは陸軍海軍共に多くの方が戦死されましたが、将兵のほとんどが岡山県出身者で構成されていた歩兵第十聯隊はフィリピンで激戦を繰り広げた末に米軍に武装解除されます。

台座の中央には戦没された方の遺品や戦友遺族や協賛者の芳名連署簿を納め、戦没者の冥福を祈ると共に世界の恒久平和を祈っており、毎年5月3日には年次祭が行われています。


☆岡山エリア
岡山駅方面に戻り、西口から歩いて十数分。
岡山県総合グラウンド内の体育館、ジップアリーナ岡山の裏に「総合グラウンドクラブ」というモダンな建物があります。
実はこの建物、現在は一階がカフェ、二階が貸し出しの会議室として利用されているのですが、元々は陸軍の建物でした。
明治43年に第十七師団偕行社として誕生したこの建物は、戦後GHQに接収されたり、労働基準局の庁舎として使われていたのですが、老朽化の問題もあり昭和43年に一時閉鎖されることに。
その後、平成2年に保存再生の改修が行われ、現在の「岡山県総合グラウンドクラブ」として復活しました。 さらに、22年後の平成24年には岡山県内では珍しい明治後期の近代洋風建築の建物であるとして国の登録有形文化財に登録されました。

ちなみに、この岡山県総合グラウンドもかつては練兵場でした。
昔、陸軍の兵隊が厳しい訓練に汗を流していた練兵場がいまでは市民がスポーツに汗を流すグラウンドになっていることを感慨深く思います。

県総合グラウンドを抜けて横断歩道を渡り、少し歩いたところに新野公会堂という建物があります。
ここは騎兵第二十一聯隊の将校集会所でしたが、大正14年の軍縮によって第十七師団及び騎兵第二十一聯隊が廃止された際に民間に払い下げられ、以後は公会堂として使用されたものです。
床の通風口には陸軍のシンボルマークである星章が象られていたり、柵の内側に岡山歩兵聯隊史蹟碑が建立されていますが、碑は柵に近すぎるため刻まれた文章を読むことが困難です。

新野公会堂がある通りをそのまま真っ直ぐ行くと、岡山大学の職員宿舎があります。
その職員宿舎の前にあるコンクリート製の頑丈そうな門はかつて歩兵第十聯隊の正門でした。
そして、いま通ってきた道。
この道は通称「営門通り」と呼ばれており、昭和の初めごろには4軒の兵隊店と呼ばれる兵隊相手の商店がありました。
余談ではありますが……この兵隊店、巻き寿司や稲荷寿司、ビールに酒などの飲食物や、満期除隊する兵用の満期記念品などを取り扱っていましたが、その他にも兵隊が日常で使う装備品……軍服に付ける襟布(カラー)や靴下、階級章、はては水筒や飯盒も取り扱っていたと言われています。

少々話が逸れましたが、この岡山大学職員宿舎を含め、現在岡山大学がある土地には歩兵第十聯隊、工兵第十大隊などの部隊が所在し、第十七師団、第三十三旅団司令部や陸軍兵器本廠岡山出張所も敷地内に存在していました。
戦後70年が経った今でも構内には陸軍が使っていた建物や施設跡があり、その中でも一見して軍関係の遺構だとわかるものがいくつかあります。

岡山大学東門近くに存在する砲身型の碑もそのうちの一つです。
その碑の中央部分には軍人勅諭内の聖訓五箇条の中から「忠節」「礼儀」「武勇」「信義」「質素」の文字が刻まれた板が。

この碑は昭和7年に軍人勅諭下賜五十年を記念し、陸軍兵器本廠岡山出張所の職員や従業員らが建立したものなのです。
中央部の板は戦後一時外されていましたが、のちに復元されました。

(つづく)
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