甲飛喇叭隊 第十一分隊 News Letter 第21号
2016年5月20日 発行
 みなさんこんにちは、甲飛喇叭隊 第十一分隊です。

 晴天に恵まれた所も多かったゴールデンウィーク、どのように過ごされましたか?  風薫り、緑豊かに生い茂る5月も中盤を過ぎました。 次の大型連休は八月のお盆時期ですね。 ゴールデンウィークに行きそびれた所や憧れの土地。今から計画を立てるのも6、7月の楽しみの一つとなるでしょう。

今回は三回に渡った「岡山県の軍事史蹟」、最終回をお送りします。 食べ物もおいしい岡山。一度は是非訪れてみたい土地ですね。

 一服の時間、お休み前の一時、どうぞお供にお読み下さい。
<岡山県の軍事史蹟 3/3>


☆護国神社
歩兵第十聯隊跡から岡山駅に戻って西大寺行のバスに乗り、山の中にある「護国神社前」バス停で下車して徒歩数分。
市の中心部を流れる旭川の東にある静かな山の中、そこに岡山縣護国神社があります。
岡山縣護国神社の起源は明治2年の4月、備前藩主の池田章政が戊辰戦争奥羽の役までの備前藩戦死者三四柱の招魂祭を実施し、同年の6月に岡山市東山公園内に社殿と碑石を建て、函館戦争の戦死者を含めた五十五柱の鎮祭を執り行ったこととされています。
現在は、戊辰戦争から太平洋戦争までの国難に殉ぜられた岡山出身者または縁故ある五万六千七百余柱の御英霊をお祀りしています。

兵隊作家として知られる棟田博氏が現役兵として歩兵第十聯隊に在営中、元日の早朝に突然非常呼集をかけられ、所属する大隊全員で岡山縣護国神社へ初詣に行ったというエピソードを著書に書いています。
現在の岡山大学のあたりから護国神社までは結構な距離があるので「通常の行軍でも大変だろうなあ」と思いましたが、帰りはなんと交換駆け足(通常の行軍に駆け足を交えるもの)だったそうで、これもまた骨が折れるだろうなあと思いました。

最初の鳥居をくぐり、参道を歩いていると右側に一段高くなっている場所が。
ここは「海軍平和神苑」といい、「岡山県全海軍戦歿者慰霊碑」と「宇垣纏提督 十七勇士菊水慰霊碑」があります。
それぞれの碑の後ろには慰霊祭で軍艦旗を掲揚するためと思われるポールが立っています。

「岡山県全海軍戦歿者慰霊碑」は、岡山県出身の海軍戦没者の御英霊一万九百五十二柱に追悼の誠を捧げるため、平成16年8月に岡山県海交会によって建立されました。
碑の裏側には「海軍の御霊よ安らかに」という言葉が刻まれています。

その横には、昭和20年8月15日に大分基地から出撃し、還らなかった宇垣中将や中津留大尉ら17名を祀った「宇垣纏提督 十七勇士菊水慰霊碑」があります。
祀られているのはこの方々です。

海軍中将 宇垣纏
海軍少佐 中津留達雄
海軍少尉 遠藤秋章
海軍大尉 伊東幸彦
海軍飛行兵曹長 大木正夫
海軍飛行兵曹長 山川代夫
海軍大尉 北見武雄
海軍大尉 池田武徳
海軍飛行兵曹長 山田勇夫
海軍飛行兵曹長 渡辺操
海軍大尉 内海進
海軍飛行兵曹長 後藤高男
海軍中尉 磯村堅
海軍一等飛行兵曹 松永茂男
海軍上等飛行兵曹 中島英雄
海軍上等飛行兵曹 藤崎孝良
海軍上等飛行兵曹 吉田利
海軍上等飛行兵曹 日高保

この「宇垣纏提督 十七勇士菊水慰霊碑」は、はじめ昭和47年に建立されましたが、長い月日を経るにつれて老朽化が激しくなり崩壊寸前の状態となったため、平成16年8月に再建されました。
最初建立されたときは塔の形だったのですが、現在は自然石の形のままの碑となっています。

今回紹介した軍事史蹟、慰霊碑は県内にある史蹟のほんの一部です。
護国神社の境内外には上に挙げた海軍の慰霊碑の他に陸軍・海軍部隊の慰霊碑や、シベリア抑留者慰霊碑がありますし、県内にはまだまだ多くの史蹟があります。
皆様も岡山にお越しの際にはぜひこれらの史蹟にも足を延ばされ、御英霊の労苦を偲び、またかつての旧陸海軍に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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